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7月, 2018の投稿を表示しています

熱中症で亡くなった小学1年生

 日本で、校外学習の後に小学1年生の男の子が熱中症で亡くなりました。妹からラインで教えてもらって、驚き、また、大変心が痛みました。なぜ、こんなことになったのだろうかと思い、甥っ子姪っ子の姿と重なり、朝送り出した子どもが元気な姿で帰ってこないことは、どれほど、ご家族を悲しませただろうかと思うと、言葉になりません。教員として、自分だったらどうしただろうかといろいろと考えます。ネットで読めるニュースの情報だけなので、偏りはあるかもしれませんが、少し書こうと思います。 学年での校外学習だった  私は子どもがいないこともあり、どうしても教師目線でみてしまうのですが、1年生4学級112年での校外学習とあり、ぱっと思ったのが、やめるという決断しにくかっただろうなあと。自分のクラスだけであれば、変更もしやすいのだけど、学年でとなると、違った難しさがあるような気がしました。計画の段階で、猛暑に対する対策とかが相談されていればよかったかもしれないのですが、そうじゃなければ、私がそこにいて、やめようといたたか、難しところがあります。  思い出した出来事があって、うちの学校では、5月の頭に体育祭みたいなことを近くの運動場を借りてするのですが、なんと、その日に大雪になったんです。5月に! で、行事どうしようかってなったとき、私ともう一人の先生が朝早くいつも来ているので二人で決めてしまって、中止にして、代わりの行事を構内ですることに変更しました。この決断に校長や教頭は一切かかわっておらず、こういうなんというか、組織や対応の柔らかさって、日本の学校にはなかったように思い出します。うちの子どもたちは、車いすに座っていることもあって、寒さに弱いうえに、車いすは雪だと動かしにくいということもあり、判断しやすかったのは事実ですが。。。 何度もシグナルは送られていたのに  男の子は何度も「疲れた」と訴え、集団からも遅れ気味であったとありました。おそらく、何度も危険信号は発せられており、シグナルは送られていたのに、見落とされていたのか、それとも、個に会った対応ができない集団であったのだろうと思いました。その子だけ、途中で学校に引き返してもよかっただろうにとおもいました。私の生徒は、障害もいろいろ、性格もありますし、困難さも違います。何かをしても、全員が参加できないこともあります...

もう一つのサッカーW杯 in Sweden

 サッカーワールドカップも、いよいよ終盤に入りました。サッカーは、あまり見ない私でも、友人たちにつられて、試合を見たくらい、日本もスウェーデンも盛り上がりました。でも、ワールドカップ、まだ終わりじゃないのです。と、教えてくれた友人に感謝です。ツイッター、フェイスブックでも書かせていただいたのですが、ブログでも、もちろん書きます。  8月にスウェーデンで開催される「もう一つのW杯」とは、知的障がいがある選手たちによるサッカーの世界大会です。パラスポーツです。今年は、スウェーデン中部のバルムランド地方で行われます。 出場国と試合スケジュール 大会に参加する国:スウェーデン、ドイツ、アルゼンチン、フランス、サウジアラビア、ロシア、ポーランド、日本、南アフリカ 日本の試合スケジュール: 8月6日14時、対ポーランド戦、場所:Arvika 8月8日18時半、対サウジアラビア戦、場所:Kil 8月10日16時、対ロシア戦、場所:Karlstad この後は、グループでの順位によって対戦相手や日時が決まってきて、決勝は18日14時半からです。 サッカーを支えに生きて スウェーデンの特別支援教育の歴史を振り返ると、実用的なことを教えるところから始まり、今でもその歴史の跡が残っていると感じることが多くあります。生きていくために必要なことを中心に、繰り返し、丁寧に教える教育は無駄ではないと思います。ただ、特別支援教育に携わって長くなるにつれて、「一見すると、無駄だと思うようなことを教えることも意味があるのではないか。」と思うようになりました。それは、実用的ではないかもしれないけれど、生活を、人生を豊かにするのではないかと。それが何なのかは、その子一人一人によって異なり、それはきっと、自我の確立に重要な役割を果たすのではないかと。 このサッカーの大会に世界中から出場する選手たちは、ものすごい努力をし、サッカーを支えにつらい時も乗り越えてきた選手たちであると想像します。「障がいに負けずに」といった簡単な言葉では、決して表せない、彼らの姿を私も見に行きたいと思います。一人でも多くの方が見てくださるといいなあと思います。 詳しくは以下のサイトで見れます。 日本語 スウェーデン語

スウェーデンの登校できない自閉症・アスペルガーの子どもたち

 スウェーデンの自閉症・アスペルガー症候群協会の最新のアンケートによれば、実に52%の保護者が学校の環境に問題があることにより、登校を拒否していると回答しています。2016年に比べると6%増えたとあり、発達障害系の障がいがある生徒は、より厳しい学校生活を送っているといえます。少しずつ改善されてるとすれば、多少状況が良くなってもいいものですが、悪化しているというのは心が痛みます。 「問題のある欠席の多い生徒」というカテゴリー  スウェーデンで学校に登校できない子どものことが話題になるようになったのは、学校改革があった2011年の数年後ではないかと思い出しています。(その前にももちろん学校に登校しない子どもはいましたが、今ほど問題視されてはいなかったのです。)最初のうちは、いろんな呼び名があったのですが、最近の適切とされるいい方は、「問題のある欠席の多い生徒」というもの。風邪や家族旅行といったような単純な欠席理由ではなく、何らかの問題を抱えて欠席率が20%を超えると問題のある欠席の多い生徒となります。そして、多くの発達障害の生徒が含まれています。 どの子にも適した学習環境を構築するモデル  スウェーデンには、特別支援教育を統括している機関があり、そこがどの子にも適した学習環境を構築するためのモデルを出しています。大きく分けると 社会的環境 身体的環境 教育的環境 の3つに分かれています。これは教室環境だけを意味しているのではなく、学校生活全体において、社会的、身体的、教育的環境を見直すことにより、適した学びの環境を構築することを目指しています。それぞれの環境には、詳しくどんなことを改善していくというかという提案があります。これ、いいと思うのですが、使うか使わないかは学校次第だし、教師一人では実行できない部分もあるので、学校ぐるみ、校長もとなると、やっぱり、どの学校もやっているとは思えない。 問題化されていて、よく話題としても聞くし、変えていくためのモデルもあるけれど、どの子にも適した学習環境がどの学校にもあるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

特別支援学校の教員免許義務付け延期

 2011年に教員免許が導入されたスウェーデン。小中学校や高等学校では、2013年から免許を持っていない教員は、期限付きでの採用しかされない、成績をつけることができなくなりました。特別支援学校でも2018年秋から適用される予定でしたが、2021年まで延期されることになりました。 有資格者が、ガクッと減る特別支援学校 教員免許を持っていても特別支援の免許まで持っている教員は少ない特別支援学校。うちの学校でも少ないです。もともと教員不足の上に、ダブル免許がいる特別支援学校の教員、一人辞めると補充が見つからず、アシスタントが場つなぎをすることも多々あります。場つなぎならいいけど、そのまま数年ということも。で、上記のように、無理だろうと現場で言われていた通り、ぎりぎりになって、2021年まで伸ばすと。でも、たった3年で何が改善できるのか不明。。。 教員免許はいらない論 時々耳にするのが、これ。教員免許いらない論。実力があればいいという。そうなったら、中卒や高卒でも実力あれば教えていいということだろうか、それとも、大卒ならいいのか。この論が出ると、私はいつも、「盲腸の手術、医師免許ない人にやってもらう?」という感じの問いをして返します。なんで、教員は専門性が認められにくいのだろうかと思ってしまう。特別支援学校も有資格者率がとことん下がっており、もう免許なしで十分になってきていて、そうなると、下手に専門性でもかざすと、風向きが悪くなったりして、できる先生は余計に学校社会から離れていくという悪循環のような。。。。偏見だといわれてもいいが、教育、特別支援教育を勉強していない先生は、長い目で教育をしていくことが苦手な人が多いと思う。目先のできることに目が行き、長い目で見たら、経験させてあげるといいことを援助で補いすぎる傾向にあると思う。 9月に選挙があるスウェーデン、特別支援学校を話題に挙げる人はおそらくいないだろうが、新政府になったのち、2021年までに何とかこの問題に明確な手立てを打ってほしい。生徒たちのために。

行き詰まり感

 行き詰まり感という言葉は聞いたことがあるような、ないような。。。キャリアというほど、キャリアを意識したことはないのですが、スウェーデンで働きだして、すでに10年以上たち、教員から第一教諭になって4年たち、行き詰まり感を感じた年度末でした。うちの組織は、ごちゃごちゃとしていて、校長もここ4年で(第一教諭になってから)5人目😂😂😂。第一教諭といえば、聞こえはいいが、この校長がころころ変わったことの影響を深く受け、いまいち自分の仕事も立ち位置も理解できず、今に至ります。 キャリアの道が少ないスウェーデンの学校システム スウェーデンの学校システムには、キャリアを積む道がすくないことが、優秀な教員が学校を離れていく要因の一つと言われています。第一教諭のシステムができたのは、4年前。それまでは、教員か管理職かという道しかなく、いきなり教頭とかなるのも大変です。現在は、第一教諭と講師という道がありますが、講師は、最低でもマスターを持っていないといけないのですが、マスターとると大学とかでも働けるので、講師の数はあまり増えていません。お給料は1万クローネ余分にもらえるのですが、あんまり募集かかっていないようにも思います。 転勤がないスウェーデンの学校システム スウェーデンの学校には転勤というものがありません。その学校に就職することになり、各学校で校長が採用することになります。このため、自分で希望して、意志をもってでないと、学校も変わることがないということになります。私の場合、途中で小中学部から高等部に移ったのですが、すでに高等部で5年。やり切った感があります。 ということで、行き詰まり感を感じいるところです。じゃあ、学校変わればいいのですが、諸事情により、今年はあまり変わりたくない上に、来年度は高等部4年の卒業年度の生徒を3人抱えているので、ここで投げ出すのもと思ってみたり。なんとなく行き詰った感覚はどのように打破するとよいのでしょうか。アドバイスを求めます。😃  

学校教育におけるレイシズムの難しさ

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  Rasismはスウェーデン語では、「ラシスム」と発音され、英語や日本語では「レイシズム」ですよね。現代のスウェーデンでは、レイシズムの明確な定義をするのは難しく、単に人種差別を正当化する考え方というものではなく、その定義は複雑化していると思います。今日はこのレイシズムに関する本から少し、思うところを。 Örebro universitetの Emma Arneback & Jan Jämte によって出版された「Att motverka rasism i förskolan och skolan(就学前学校と学校でできるレイシズム対策)」 写真:www.nok.se 本は読んでいないのですが、著者のインタビューが組合の雑誌に載っていました。そこには、 教員が無意識に社会的排除をしていることがある と。よくあることですが、学校で外国出身の子どもがいると、生徒にその国の紹介をするような時間を持ったり、授業をしたりすることがあります。この背景には、その子どもの持っている異文化性の理解を図るという意図があると思います。が、著者曰く、こうした活動により、生徒は「自分はみんなとは違う」という自己像を強くし、構築していくため、つまるところ、社会的排除を強めている行為なのだと。  これ、学校教育にありがちかと思いました。こういう正しいことをしている感じなのに、実はみたいなこと、自分の経験からもあるなあと。機会があれば、ぜひ読んでみたい本です。