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スウェーデンの家庭支援プロジェクト~障害がある子どもを授かったばかりの家庭に寄り添う~

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 今日は、私が注目している新たに始まったプロジェクトのご紹介です。このプロジェクトは、障害がある子どもを授かったばかりの家庭をよりよく支援していくためのプロジェクトで、スウェーデン語では、 「Familj till familj」 (家族から家族へ)というプロジェクト名がついています。 1.プロジェクト運営と資金 このプロジェクトの実施団体は、スウェーデンで歴史が長い、障害がある人とのその家族を支援する全国組織FUBです。私も会員になっているこの会は、スウェーデンの障害がある人々のために様々な活動を行っている団体です。この団体が、スウェーデンにある公共の遺産基金に資金を提供してもらい、このプロジェクトを行っています。この公共の遺産基金がユニークで、誰かがなくなったときに、相続人がいない場合に、その遺産は国に戻り、それがこの公共の遺産基金に入ります。この基金のお金は、社会的にとって意義のある、社会貢献プロジェクトなどに使われるため、多くの障害者や福祉にかかわるプロジェクトや研究がこの基金の資金提供によって行われています。プロジェクト期間は3年間で、プロジェクトにかかわっている方の一人は、写真にある、障害がある子どもの家庭を描いた本の作者でもあります。 2.プロジェクトの概要 プロジェクトは、2025年秋より3年間の予定で行われます。プロジェクトの対象となるのは、障害がある子どもを授かったばかりの家庭になります。目的は、障害がある子どもを授かったばかりの家庭が、 家族の心と体の健康を守ること 公平な対応と支援を受けられること 問題に対処できるように、情報やつながりのツールを提供すること です。具体的に行われる内容としては、目に見えてわかる重い障害を持った赤ちゃんが生まれた家庭に、「赤ちゃんの手提げ袋」を渡し、そこに様々な情報など、必要と思われるものが入っているとうもののようです。中に入っている情報としては、専門家や様々な団体とつながれるような情報、同じような経験をした家庭とつながれるといったようなものなど、幅広くはいっているようです。これと並行して、こうした家庭とかかわる人々への研修の方法なども生み出していくとのことです。 3.プロジェクトが生まれた背景とは このプロジェクトが生まれた背景には、生まれてすぐに分かる、重い障害を持った赤ちゃんを授かった家庭が直面す...

夏休みを満喫できない子どもたち

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このブログは、ブログを一度移行しており、旧ブログの記事を読み直して、リライトをしています。今回は、2009年7月の記事をもとにして、書いています。 夏休みというのは、多くの子どもたちが大変楽しみにしている長く自由なお休みです。スウェーデンは、年度末に夏休みがあたることもあり、また宿題を出す習慣もないため、この長い2か月半に渡る夏休みは宿題も出ません。しかしながら、この長く自由な夏休みを満喫できない子どもがスウェーデンにも多くいます。今日は、そんな子どもたちの実態についてです。 1.家庭に問題のある子どもたちの多さ 旧ブログの記事を書いたのは2009年なので、自分の書いた文章に「日本と比べると」という部分があり、印象的です。2025年の今は、日本を離れて長く、比べることは難しくなってきています。何を比べるとというと、アルコール中毒や薬物中毒についての話がスウェーデンでは日本よりもオープンにされるということ。現在は日本でもよく話題になるようになったのではないかと思います。いかがでしょうか。 スウェーデンでは、親がアルコール中毒や薬物中毒、もしくはそのほかの何らかの理由で、精神的もしくは身体的に虐待を受けたことがある子どもが、かなりいます。以下のグラフは、「Blå」と呼ばれるスウェーデンの犯罪予防評議会が出している最新の統計になります。これは、届け出が出されたものであり、届け出が出ていないものを加味すれば、これ以上の児童虐待が行われていると思われます。0~6歳児の虐待の多くは、就学前学校で発見されるので、夏の間の届け出が減るそうです。スウェーデンの学校などは、何かしらのネグレクトや虐待の疑いがある場合には、届け出をする義務があるので、目の届かなくなる夏には届け出も減るというのは、夏休みを満喫できていない子どもたちがどこかにいることになり、心配になります。 緑:0~6歳、オレンジ:7~14歳、紫:15~17歳 ( 出典 ) 2.夏休みになるとなくなるもの 夏休みになると何がなくなるのか。まず、スウェーデンでいわれるのが、給食です。やはり食べ物って大きいですよね。物価の上昇に伴い、困窮家庭が増えたことがわかるのが、学校給食での消費が増えることと聞いています。スウェーデンの学校給食は、バイキング、ブッフェ形式なので、好きなものを好きなだけとることができます。このため、上記のよう...

スウェーデンの就学前教育義務化への動き

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 昨日の「 スウェーデン、就学前クラスの廃止と10年間の基礎学校教育開始 」に引き続き、今日は、スウェーデンの就学前教育義務化への動きについてです。スウェーデンの就学前教育の歴史を簡単にまとめたのちに、義務化への動きについて現地で見聞きすることをご紹介します。 1.スウェーデンの幼児教育の歩み スウェーデンでは、幼児教育はもともと「保育」の要素が強く、今の「Förskola就学前学校」となり就学前教育となったのは、最近のことです。それまでは、日本であれば、保育園といった感じで、名称も今のように「学校」とは入っていませんでした。もちろん管轄も、教育関係の文部科学省系ではなく、社会福祉などの厚生労働省系が行っていました。こうした日中子どもたちを預かる場所が増えていき、子どもの発達や学びに関する研究が進んでいき、スウェーデンでも「遊びの中での学び」と「社会的な関わり」を通じて子どもたちが学ぶ場としての位置づけは進んでいきます。そして、1998年に、就学前学校は教育省、学校庁の管轄になり、スウェーデンで初めての「就学前教育に関するカリキュラム」が出されたのです。 2.幼児教育はいつから教育になったの? 上記の歴史を簡単に書いた後に少し違和感のあるタイトルですが、スウェーデンの幼児教育は、常に教育でも保育でもあったというのが正解かもしれません。「エデュケア」という言葉があり、教育(Education)と保育(Care)を重ね合わせたもので、スウェーデンでは、この複合型の幼児教育を行ってきた印象があります。前出の1998年の法改正の際に「基礎自治体は、教育を受けてきた、教師、幼稚園教諭、学童保育教育者を雇用して授業を行う義務がある」と明記され、それまでは、「教師」であれば、幼稚園教諭や学童保育教育者でなくてもよかったとのことです。この法改正からも、それまでの幼児教育が、幼児教育を教えるために教育を受けてきた人々によって担われていなかったかもしれないことが分かります。このような歴史的背景もあってか、スウェーデンの就学前教育にかかわる人々の地位やお給料などは、全体的に低めな傾向があると思うのは私だけではないと思います。 3.なぜ、今3歳からの義務化なの? 現在は義務化に向けての下準備中で、調査と議論が行われている段階です。今でも、実は3歳児の95%が就学前学校に通っているので、義務...

多国籍なスウェーデンの学校の職場とスウェーデン語の習得

 旧ブログの中でも、何回かスウェーデン語の習得に関して書いていました。私はスウェーデンに住み始めて20年以上になるし、仕事をしていることもあって、スウェーデン語はそれなりにできますが、完ぺきなスウェーデン語ではないですし、間違いも多いです。今日は、そんなスウェーデン語習得と多国籍なスウェーデンの学校の職場についてです。 1.多国籍なスウェーデンの学校  スウェーデンは、もう50年以上前から、労働移民や難民を多く受け入れてきた歴史を持っており、学校は本当に多国籍です。生徒たちには、移住してきたばかりの子もいれば、2世、3世という子どももいます。職員もしかりで、いろんな国籍の人、いろんな外国の背景を持つ人々と一緒に働いています。 2.スウェーデン語を話す  多国籍になると多言語になり、聞こえてくる言葉は、いろいろあります。生徒たちが話す言葉はともかく、職員間では、「学校ではスウェーデン語を話す」というルールがあります。個人的には、このルールが明確に書面で書かれて出てきたときは驚きましたが、実際に教師をしていると、スウェーデン語を話してほしいと思う現場に直面することもあり、必要なルールなのだと思います。 3.言語も文化も違う  言語も文化も違う同僚たちと働くことは、いろいろ学びがあります。スウェーデン語の習得もしかり。私は、性格的なものや、おそらく文化的なものもあり、10年前とかは、どちらかというと、あまり発言しないし、無駄なことは言わないようにしてました。しかしながら、徐々にスウェーデン語ができるようになり、だんたんともともとの性格に戻っていったような印象があります。これが、人によっては、スウェーデン語の習得かかわらず、おおらかな人もいて、見ていて清々しい。特にアシスタントなどは、話すことが中心なので、読み書きに苦労してきた私とは少し違うなと感じることもあって、いろんな人のスウェーデン語の習得の過程を見ながら、人それぞれでいいなあと思います。 4.スウェーデン語習得を振り返って  自分のスウェーデン語の習得を振り返り、いろんな同僚を見てきて思うのは、スウェーデン語を使って何をしたいかによって変 わるし、言語はスウェーデン語に関わらず、使って磨いていかないと錆びるということです。昔の先生の同僚に、2世の人がいたのですが、彼が自分のスウェーデン語について完ぺきではないという...

新年に思うアストリッド・リンドグレーンの言葉

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   新年が明けて、目に飛び込んできたのは、日本の地震のニュースでした。スウェーデン時間では、朝8時過ぎでしたので、2024年の元旦を、この地震と津波の不安で迎える日本の皆様の心境を思うと、何とも言えない気持ちになります。今回の能登半島地震で被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。1日も早く穏やかな日常が戻ることを願うばかりです。  新年に当たり、思うアストリッド・リンドグレーンの言葉を。 “Hur ska jag kunna veta det, när jag aldrig har försökt?” やったこともないのに、どうやって知ることができるの?    今でもとても人気のあるアストリッド・リンドグレーン。「長靴下のピッピ」を書いた人です。スウェーデンに興味のある方なら、ご存知かと思います。彼女の本は、94の言語で訳され、約14億5千万もの本が売れたそうです。彼女が1941年から2002年まで住んでいたアパートは見学をすることもできます。アラフォーになり、人生も先が少しずつ見えるようになった今だからこそ、今一度覚えておきたい言葉です。やってみなきゃわからない。人から失敗に見えても、自分が失敗じゃないと思っていれば、やったことに価値があると思います。そんな思いをもって新年を過ごしていきたいと思うのです。    このアストリッド リンドグレーンに関しては、国内でものすごい人気があるにもかかわらず、ノーベル文学賞をもらえなかったということで時々話題にあがります。生徒たちに聞くと、もらっているはずだなんて言います。なんで、もらえなかったかは、よくわかりませんが、うわさでは、内容が子どものしつけにはよくなかったとかうんぬん。。。個人的にはあげてもよかったのではと思いますが、彼女自身はそんなことにこだわるような人には思えないのは私だけでしょうか。  彼女は、多くの言葉を残し、その言葉から多くのことを学ぶことができます。次の言葉も昔から大好きです。大人になっても、遊び心を忘れずに楽しみながら日々を暮らしていきたいものです。     Vi lekte och lekte så det är underligt att vi inte lekte ihjäl oss. 遊んで遊んで遊びまくったのに、遊び飽きるということがなかったのは不思議ね。...

専業主婦がいない男女平等の国、スウェーデンの女性たち

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 この投稿は、旧ブログの 投稿をリライトして投稿しています。 2022年7月16日に、初の単著「 医療・福祉・教育・社会がつながるスウェーデンの多様な学校~子どもの発達を支える多職種協働システム 」を刊行。是非ご一読を😊  学校も休みに入り、1週間。友達に会ったり、出かけたりと楽しく過ごしている反面、やらなければいけないことがなかなか簡単に終わる内容でない今年の冬は、心は少し焦ってし舞う感じです。とりあえず対策として、FacebookとTwitter を休止しました。文章を書く練習も考えるとブログを残すことにしました。それにブログは、だらだら時間を費やすことはなのでよいのですが、Facebookなどは、どうしても逃避行動増えてしまう、弱い私です。  さて、今日は、旧ブログから、専業主婦とスウェーデン関係の投稿を読見直すと、同僚たちと話した内容など興味深いなあと思います。タイトル通り、スウェーデンには、専業主婦という選択肢はありません。男女平等が当たり前であり、女性も男性と同じように働いて、税金を納めて一人前という国です。今日はそんなスウェーデンの専業主婦事情についてです。  1.昔は、スウェーデンにもいた専業主婦  スウェーデンにも専業主婦がいた時代があります。だいたい、今60代になるくらいの世代の方は、「母親が専業主婦だった」というのは珍しくありません。もう少し上の方だと、「私は専業主婦だったけど、働き始めた」というような話をされる方もいます。その時代には、専業主婦が存在し、家事を家庭内労働として行い、税金の控除もありました。この制度は無くなり、「いつ無くなったのか」という友人の説明をそのまま訳すると、 「政府が主婦も外で働くべきだと思ったときになくなった。」 とのことでした。専業主婦だったという人の話を聞くと、あの頃はよかったという印象を受けるので、福祉国家というと聞こえはいいけれど、みんなが働き納税するという基本姿勢がそんなに簡単物でもないということを感じます。これに関連して、やっぱり選択肢があれば、家にいたい人はいるんだなあと感じることはあります。 3.中立国と戦争と専業主婦  第2次世界大戦後、ヨーロッパの多くの国々が国内の復興に力を注いでいた時期に、スウェーデンは、中立国であったために、国内の工場などはそのまま残っており、戦後すぐ...

組織再編というスウェーデン文化

 あっという間に12月も半分過ぎ、今日は、第3アドベントです。スウェーデンのクリスマスについて、 スウェーデン企業スカニアのサイト に書きましたので、興味のある方は、ぜひ、ご一読ください。今学期も残り4日間、今年は仕事は金曜日まであるので、1週間しっかり働いたら、冬休みです。  組織が変わることは、スウェーデン文化といっても過言ではないかと思います。何年かに1回、何かしら組織が変わったり、名前を変えてみたり、ということをします。なので、「組織がかわったから」ということを理由にすれば、割と周囲の理解が得られるのです。そんなうちの学校も、またまた、組織が変わりました。😂😂😂  2年ほど前に、小学校の低学年の学校と一緒になっていたのを、特別支援学校だけの組織にし、新しい校長が着任しました。しかしながら、特別支援学校の高等部、高校にあたるところは、コースや教科の経営が難しく、1年半たち、分離され、高校と統合されることに。おそらくこれはよいことだと思われますが、しかしながら、高等部でありながら、私の働いているところはそのまま残ることに。こういった再編に振り回されるのは、慣れっこになってきましたが、やっぱり、疲れます。。。一応、高等部の第一教諭というふうだったので、来学期からはどうなるのかわからないし。まあ、いいのだけど。慣れるようで慣れないスウェーデン文化ってところかなと思っています。  あと1週間がんばろっと。。。

スウェーデンといえば、これです

 木曜日に終了式があり、今年度が終わりました。生徒たちは夏休みに入り、私も昨日はのんびり会議の日で、月曜日に一つ会議を終えたら、夏季休暇に入ります。今年度は、今まで働いてきた中で、最もカオスな年だったように思います。私は、2月に同僚を失ってから、なんとか走り続けて今学期を終わらせたけど、最後のほうは、息切れ状態でした。それでも、何年か前のように、スウェーデンで働くのはいやだーというような感情よりは、まだまだ学ぶことがたくさんあると思いながら、今年度を終えれたので、よしとしましょう。  スウェーデンといえば、これですって、何がって、感じですが、スウェーデンを知る人ならば知っていると思われる、組織替え。スウェーデンでは、システム変更、よくあります。うちのコミューン、学校もしかり。。。私は今の学校9年働いていますが、働き始めたときは、特別支援学校は一つの組織でした。数年たって、小学校と一緒の組織にされて、この秋から、また、特別支援学校だけの組織に戻されます。上が変わればとかそういうものでもなく、ほんとによくある、この組織替え。振り回される現場は大変です。😓この組織替えに伴い、校長選択なども滞り、どうなることかと思いましたが、何とか新しい校長先生が決まりました。そして、バタバタする中で、やっと小中学部の移転先も見つかりました。この一連の状況を見ていて、こうなるんだなーと、妙に感心してしまった私です。    それでも、昨年のようにバタバタいろいろ動き回るのではなく、それぞれの立場の人がそれぞれの仕事をするべきであるという姿勢でのぞむと、動かないところもあるけれど、何とかなるから不思議です。職員の愚痴も増えるし、不満も増えるけれど、それぞれが何とかしようと努力し始める感じです。それなりにうまく回っている時とは違い、誰から見ても、どうにもならないくらいカオスだと、不満がお互いに向かないというのもあるかとも。  今回の組織変更がどうなっていくのか、今後が興味深いです。新しい校長先生も楽しみだし。長らく、私を支えてきてくれた副校長が定年退職を迎えたことは大変感慨深く、泣けてきました。一緒に行った日本の姉妹校訪問を思い出します。人生とは移りゆくものであると感じた1年でした。    今年の夏の休暇は、結婚して初めて、一人で1か月日本に帰ります。落ち込んでいた私に、主...

夏の計画

 日本週間が終わり、イースター休暇も終わるという頃になって慌てたのが、日本行きをどうするかでした。本当は、主人と主人の親友を一緒に日本に行くことになっていたのですが、人生いろいろあるのが常なので、結局、予定は変更され、なんと私だけ、1ヶ月も日本に帰ることになりました。1ヶ月も日本に帰るのは、ものすごく久しぶりです。結婚してからは最長3週間だったので、しかも、1回3週間帰ったら、主人がこれからは2週間でいいと言ったので、その後は常に2週間。一人で1ヶ月って、何すればいいんだろうかと思ったくらいです。  とりあえず、バタバタしながらも飛行機のチケットを買いました。そこで、まず、大満足。これで終わってはいけないと、思いついた人々に帰国しますよメールを送りつけ、なんと、嬉しいことにみなさん返事をくださる。。。ありがとうございます。せっかく1ヶ月も帰るので、日本を離れて長く、もう現状がわからない日本の特別支援教育の勉強ができないものかと考え、ツイッターやフェイスブックで情報収集、恩師や、同級生にもメールでアドバイスをお願いし、現在計画を立て中です。    私はどちらかというと日本の夏よりもスウェーデンの夏が好きで、家でダラダラ過ごすのが一番と思っているのですが、今年は日本にそろそろ帰らないとと思っていました。理由は、自分の日本人としてのアイデンティティの確認が必要かと思ったから。スウェーデンで長く暮らし、職場がスウェーデン人だらけで、その社会に染まっていると、大抵のことはうまく流れるし、いいのだけど、今年はいろいろあって、自分が周りのスウェーデン人とはちょっと違うとかなり自覚し、(当然なのだけど、でも日々忙しいと気がつかない。)自分のルーツに帰りたいと思った次第です。特別支援教育に関しても、日本人といえば、日本のことを聞かれるし、比較してとか質問されますが、日本を離れて15年も経つと浦島太郎で全くわからない。。。  例えばだけど、未だに慣れないスウェーデン文化が、あのイースターとかちょっと長い休み明けに繰り返される「挨拶のセレモニー」。 休み明け、同僚たちと、ハグをし、 「休みどうだった?」 「楽しかった」 「元気?」 「元気よ」 この一連のセレモニーを何人とも繰り返します。疲れる。。。私はこの人という人ならいいけ...

スウェーデンの文化を考えさせられた出来事

 学期末の忙しい時に起こった出来事について、すごく考えさせられたので、ここで書き記しておこうと思う。いろんな考え方があるので、私の考え方が間違っているとも相手の考えが間違っているとも思わないけれど、イラっときたのは確かであり、おそらく、これは文化の違いよるものであろうと思う。  話の始まりは、とある金曜日。高等部の生徒が揃って近くの島に遠足に行くことになっていました。しかし、天候がイマイチなので、ピザ屋さんで外食をするということになりました。生徒に関わった全ての職員が同行できることが望ましいということで、職員の配置換えをし、8名の生徒全員と職員で無事に外食をして良い1日が終わりました。ここまではなんてことがない話なんですが、続きは、翌週の月曜日に。  月曜日は、他のクラスが年度末ということで同じようにピザ屋さんに外食に行くことになっておりました。もちろん、生徒に関わった全ての職員が同行できるように配慮をし、そのために、私のクラスは、職員の人数が足りないということで、 10時15分にランチを取りに行き、 ランチを生徒と職員に届け、 11時に遅れてくる生徒の受け入れ準備をし、 12時に職員が一人減るので、その対応を考え、、、 翌日に控えた卒業の日の準備をし、、、 と、もう一人の先生と1日の準備に追われているところに、外食に行く予定だったクラスの担任がやってきて、 「生徒が二人休んだから、代わりにピザ屋に行ける生徒はいないか。貸してもらえないか」 と。私、残念ですが、切れました。生徒二人休んだということは職員が二人余分にいることになり、その方たちがピザ屋に行くためには生徒が必要であるということまでは理解できますし、スウェーデン語でいわゆる「trevlig」なのはわかりますが、代わりに行く生徒の学校での学習はどうなるのでしょうか。どこに生徒の立場からもの事を考えた視点があるのか。。。 結局、私は金曜日に行ったのだから、生徒は予定された授業を受けると断ったのですが、不服に思った職員がいましたし、いろいろ言われました。理由に自分たちは職員全員揃って行ったんだからと言われて、なお、がっくし。生徒が二人休んだのは私の責任ではないのだし、生徒が休んでいたら、私たちも揃ってはいかなかっただろうという発想は生まれない。。。 ちょっとした出来事...