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ITスキャンダルとスウェーデン政府内閣改造

 スウェーデンに戻ってきて、こちらで大騒ぎになっていたのが、国の交通局(とでも訳せばよいのかしら)そこが、起こした個人情報漏洩スキャンダル。簡単に簡単に事の流れを話すと、  スウェーデンでは、車のナンバーとか免許などを管理している交通局は、仕事がすでにアウトソーシングされていて、その中でもITシステムを請け負っていた会社から、情報が漏れたというもの。国民の運転免許に関する情報もアクセスが可能だったそうで、私のような一般市民ならまだしも、特別な理由で個人情報を隠している人などは、気が気ではありません。そして、軍の機密事項も漏れていたとのこと。これもまた、長らく戦争をしていない国であっても、大問題です。どこに軍の車両があり、誰が運転できて、などといったことまで、ほかの国に知られることは、国としてあるまじきことです。  このスキャンダル、腑に落ちないのが、関係者のうちで発覚してからすでに1年以上たっていること。人が行うことですし、何かしら間違いが起きても仕方がないとしても1年以上もたっているのは問題で、この事実を首相が知ったのが遅いことが問題となり、野党側が関係した3大臣に対して不信任案をだすと発表しました。これに答えるように行われたのが今回の内閣改造です。  辞任したのが、インフラ担当大臣、アンナ・ヨーワンソンと、内務大臣、アンデッシュ・イーゲマン。防衛大臣のペーテル・フルトクヴィストは辞任しなかったために、野党側が反発を示しましたが、世論は彼の在任を望んでいるようです。  代わりに就任したのは、現法務大臣モルガン・ヨーワンソンが内務大臣を兼任することになり、仕事量が増えるということで、彼が担当していた移民関係のものを移民大臣を置くことにして、ヘレーネ・フリッツソンが就任。インフラ担当大臣には、トーマス・エネロートが就任しました。この内閣改造では、保険・社会問題大臣には新たにアニカ・ストランドヘルが就任したのですが、理由は、前の医療保険スポーツ担当大臣、ガブリエル・ヴィークストロームが燃え尽き症候群のために病気休暇を取っており、辞任を表明したためとありました。    野党側の発表からあわただしい動きをした内閣は翌日の10時に記者会見をすると発表しました。どんな発表が出されるのか憶測がかなり流れ、様々なシナリオが描かれていましたが、結局、スウェーデ...

自分の立ち位置を思い出す

 日本から戻り、ちょっと天気が崩れているためか、「もう秋なのか」と着る服を悩む毎日です。外国に住んでいると、日本に戻ったら「これを食べよう」とかいう感じで、食べたいものがあります。私は、帰ったら必ず「みたらし団子」を食べます。昔からの大好物なのです。実家の母やお義姉さん、妹たちからも何か食べたいものがないかとよく聞かれたのですが、あんまりパッと思い浮かばない。人が食べているものを見ては、ああ、ああいうの食べたかったとか思うくらいで、この年になると、人に作ってもらって、上げ膳据え膳で食べられるものは、なんでもありがたく、おいしいと思ってしまいます。    人それぞれだと思うのですが、私はあまり日本に長く、定期的に帰国する習慣がありません。子どもがいる方などは、長期の休みを利用して、親と孫が一緒にすごせるようにということで帰られる方が多いのですが、そんな必要のない私は、なんとなく、帰国せず。経済的な理由というわけでもなく、時間的な理由というわけでもなく、ただ、なんとなく。。。元来の怠け者で、だらだらとごろごろという言葉をこよなく愛しているためでしょうか。。。ということで、今回のように1か月も帰国するなんて驚きで、誰が出した案かといえば、うちの主人がだしたもので、まあ、そうするかと重い腰を上げたのです。    結果、帰ってよかったなあと思います。その中でも印象的だったのが、滞在半分を過ぎたころから、「帰ったら、あれ食べよう」とか思い出したこと。こんなに食のおいしい国にいるのに、なんでだろうねーと思ったくらいです。特に食べたかったものは、ヨーグルトとチーズ。チーズなんか、普段そんなに好んで食べないのにね。不思議です。  もう一つ、印象的だったのが、自分の立ち位置を思い出したこと。今回は一人で1か月ということで、友人や知人に多く会うことができたし、家族と過ごす時間も多く持てました。でも、私は昔から、人気者ではないけれど、嫌われ者でもない感じで、自分の中でも「来るもの拒まず、去る者追わず」みたいなスタンスで人付き合いをしてきました。でも、スウェーデンにきて、友達を一から作ることになり、職場ではスウェーデン人の同僚とそれなりに付き合うようになり、無理をすることも多々ありました。なので、今回の帰国で、友人たちと会い、自分ってこんな立ち位置にいたっけーと思い出しました...

日本の放課後等デイサービス見学

 今回の日本への帰省中に何をするか、スウェーデン人の同僚たちに話すと「ああ、仕事しに行くのね。」と言われいたくらい、いろんな学校などを見に行きました。せっかくなので、見たものをまとめていこうと思います。振り返ると、いろいろ思い出して、また、勉強になります。  まず、訪れたのが、 「放課後等デイサービス 」ということを行っているところです。私が日本で働いていたころには、こんなところはありませんでした。もちろん、数十年前ですが。。。  放課後等デイサービスは、スウェーデンでいうところの学童保育に似ており、もらったパンフレットには、 「放課後等デイサービスは、障がいのある、主に6歳から18歳の就学児童、生徒(小学生、中学生、高校生)が、学校の授業終了後や長期休暇中に通う施設」 とあります。スウェーデンの場合、学童保育は障がいの有無にかかわらず、12歳まで(オープンな学童保育は13歳まで)、その後は、障がいがある生徒の場合はLSSという法律のものとにサービスが展開されます。うちの学校で放課後行われているような感じのものかと、勝手に想像していました。こういった放デイと呼ばれるものが増えているようで、特別支援学校をいくつか見学に行きましたが、そこにも、放課後デイの方が迎えにきていたり、話題にあがったりしていました。  放課後デイの利用には、市町村が発行する「障害児通所受給者証」というものが必要だそうです。今回の日本で訪問で、私の理解が追い付かなかったのが、こういった、受給者証、障がい者手帳といった様々な証明や手帳についてです。なんと、複雑なシステム!と思ったのは、私だけでしょうが、わかりにくいです。地元岐阜県、愛知県、東京都、広島県といろんなところを回ったこともあり、名称が微妙に違うことも、理解を難しくさせました。話がずれましたが、こういった放課後デイでは、問題や難しさを抱えた親と子どもが相談をすることができ、その後、わかりにくい手続きもサポートしてくれて、サービスの開始となるようです。  利用料が発生しますが、世帯年収に応じた金額になるようで、他の多くの障がいがある方への福祉サービスが1割負担だったので、おそらく1割負担かなと想像しています。また、利用回数に関する制限についても、私が理解した限りでは制限がないようでした。この辺りがスウェーデンとは違う...

充実した日本滞在を終えて

 長いと思っていた日本での滞在を終え、数日前にスウェーデンに戻ってきました。予定では、ブログを更新する余裕があるくらいのつもりだったのですが、思った以上に予定が入り、更新するどころではありませんでした。甥っ子には、「そんなに出歩いて、疲れないの?」と言われ、姪っ子には、「あれ、もう帰ったの?」とか言われるくらい、いろんなところに行って、充実した毎日を過ごせました。  日本に着いた頃は、まだそれほど暑くなく、久しぶりの日本の夏に耐えられるかなと思っていた私も、「これくらいなら大丈夫」と思っていましたが、7月に入ると暑い日が続くようになりました。友人の子どもたちと原宿に行ったときは、さすがに暑さと人の多さにやられるかと思いましたが、何とか乗り切り、久しぶりの日本の夏は、こんな感じだったかなと思い、毎日楽しく過ごすことができました。  会いたかった、兄や妹の家族にも会い、一緒に過ごす時間を持つことができました。いろんな話をして、笑って、とても楽しかったです。母と一緒に過ごす時間も多く持つことができ、家族というのは何歳になってもいいなあと心から思います。甥っ子、姪っ子が成長していく姿を見ることは、この上ない喜びであり、来るたびに心を和ませてくれます。    日本での滞在中には、本当にたくさんの方にお世話になりました。日本の特別支援教育や障がい者福祉の勉強をしたいという私の不躾なお願いに、快く答えてくださった方が本当にたくさんいて、うれしかったです。お時間を割いてくださった皆様、本当にありがとうございました。学んだことを今後に生かしていきたいと思います。日本を離れて15年以上たち、やはり日本の状況は大きく変わっていると実感しました。そんなカルチャーショックも含めて、紹介していけたらと思います。