子どもがいないということは、孫もできない。
これは、不妊治療していた時に読んだ本や記事の中で一番心に残っているもの。ある人の手記を読んで、子どもがいないさみしさを乗り越えると、次に孫がいないさみしさがやってくると。きっと、いつか私も体験するのだろうと思います。
つい先日、日本で、生殖補助医療法が成立しました。法律の文面上に旧優生保護法を思い出させるような部分があるということで、私も気になってみていました。結局その部分は変わることなく、法律は成立しました。成立に至った経緯を含めて、あまり詳しくないので、このあたりは、もっと勉強してから、また書けたらと思います。
思い出していたのは、数年前に不妊治療をしていたころのスウェーデンの事情。スウェーデンで、卵子提供が可能になったのは、2019年1月1日なのです。もっと早くからやっていそうなイメージがある方、多いのではないかと思います。
私が不妊治療していたころは、卵子提供は国内では可能ではなく、望む人はデンマークやロシアなどに行っていたと思います。代理母はインドとか。あの時期は、スウェーデン転換期だったのだろうと思うのですが、精子提供を受けれる人の枠を拡大する議論、卵子提供の議論、養子縁組の縮小、代理母の議論と、この分野は議論の真っただ中でした。体外受精や顕微授精をしてくれる医療機関も少なく、1年から2年待ちでしたので、順番待ち解消のプロジェクトがあったくらいです。あの当時と比べると、現在は、民営化が進んだこともあり、かなり落ち着いている印象を受けます。
スウェーデンの場合は、国の医療保健の対象でできる体外受精は、男女共に18歳以上40歳までとなっており、40歳を超えると、自費で行うことになります。体外受精も何回もできるわけではなく、今までの成功率から計算して、卵子の採取3回までで、可能な体外受精の回数としているレギオン(日本の都道府県レベルにあたる)が多いと思います。私が受けたときは、医療保健適応で税金で行うということで、私たち夫婦の希望というよりは、以下に効率よく行うかに重視が置かれているという印象を受けました。もちろん、無償に近い形でできることは素晴らしいことなのですが。
子どもがないということは孫もできない。たまに思い出すんです。私たちは夫婦の意思で最終的に子どものいない人生を選びました。卵子や精子提供は可能であったとしても受けなかったし、事情により養子縁組もしなかったので、聞かれれば、私たちは、子どもを望みましたが、自分たちの意思で子どものいない人生を選びましたと答えるでしょう。でも、時々、思い出しますし、考えます。もしも子どもがいたらと。一番つらかった時期は、子どもの愚痴をいう知り合いや、同僚、友人の言葉を聞くもつらかったし、今のように落ち着いて話せるということはなかったので、少しずつ時間がいやしてくれるもの、自分が受け入れられるものもあると思います。
今回、日本でこうした法律が成立し、このことに関して、倫理的にどうとか、そういうことを言うつもりは全くありません。世の中が発展していき、技術が開発され、人々の意識も少しずつ変わっていく中で、子どもをどのように持つか、産むかということまでも、自分で選ぶことが可能になるという社会において、自分で知識を獲得し、取捨選択していくことは、とても重要です。法律が変わり、可能でなかったことが可能になり、私たちは、選択の可能性が増えるとともに、それを自分で決定する力が必要になります。そして、私たちはそうした選択の力をこれからの世代に何らかの形で伝えていくことが重要であると思います。
そこには、ただ、卵子提供が可能だという知識ではなく、自分の体について、女性と男性の体について、妊娠について、いわゆる性教育といわれるものから、人権までを、教えていくこと、自分で知識として獲得することが大切であると思います。法律は、今後の変化の一端であり、出自を知る権利や代理出産、出生前診断などなど、多くの課題や問題を社会で考えていく必要があるでしょう。
孫がいないのですが、私は幸いなことに、甥っ子姪っ子には恵まれ、今日もかわいい甥っ子がライン電話で話をしてくれました。ないものを悲しむよりも、あるものに感謝して、日々生きていければいいなあと思う日曜日です。