2011年3月14日月曜日

利益が学校を向上させる

 スウェーデンでは、公立学校は利益をあげることはできませんが、私立の学校は利益をあげてもよいことになっています。これに関して、たびたび政治的な討論が行われています。簡単に言えば、学校というシステムが利益をあげることに反対している人々が多いということなんですよね。スウェーデンみたいな、社会福祉国家といわれる国だと、確かに、税金で運営されている学校が利益をあげて、それが経営者に還元されることがおかしいということなんですよね。
注:スウェーデンでは、私立学校も税金で運営されており、生徒の人数に合わせて運営資金が出ており、保護者からお金をとることは禁止されてるのです。

 これに関して、アメリカのAndrew Coulsonがアメリカとスウェーデンの教育システムを比較したものに関して、新聞に載っていましたので、少し私の意見を。(記事は、本日のSVD)
 まず、おもしろいなあと思ったのが、書き出しの部分。
たとえば、携帯電話などで新モデルがでると、関連会社はそれに負けないようなものを参考にし、まねをしつつ、より新しいものを作り出し手行きます。でも、教育では、そんなことはなく、たとえ、よい学校があると聞いても、それを手本としてまね、よりよい学校にしていこうというような考えはあまりないというもの。
 そうなんですよね。教育って、大学での研究もあんまり進んでいないような気がするんですが、現場でもよい学校を見学しまねてよりよくしようとかいうような競争心ではないんですけど、そういうものがかけているように思います。(スウェーデンの場合です。)日本は研究会などがあり、こんなことはないと信じたいですねえ。
 そのために、それぞれが、それぞれの場所でうずくまってしまっているような感じがします。

 で、話を戻すと、私立学校で利益という名の「にんじん」があるからこそ、馬(学校)はよりよい学校に使用と走り続けているのであるという調査結果が。
 あまり詳しく書いてなかったのですが、私が理解したところでは、アメリカでは「チャータースクール」と呼ばれる私立経営の学校があるけど、それは、公立の学校と同じような結果しかあげていないらしい。その要因がスウェーデンにはあるけど、アメリカにはない、利益を追求できるかできないかということみたいです。

 この調査に関する詳しい内容はかかれていなかったのですが、日本のKUMONが42カ国にわたって教室を展開していることや、インターネットを使って数学の授業を展開している人の話が出ており、利益追求がいかに教育効果を挙げるかということが述べられていました。

 利益を求めない学校のことを、「装飾用のちょうちん」と表現し、その明かりは美しく照らすけれど、それは、その周りだけであり、その美しい明かりがほかの場所に広がっていくことはない、ということらしい。

 わたし個人としては、私立の学校など競争相手がいることによって、ほかの学校がよりよい教育を求めていくというのならば、それはそれでよい気がします。その利益を追求している学校を選ぶのも生徒とその保護者なのですから、それがいやなら違う学校を選べばいいのだし。