スウェーデンの教育現場から考える「本当のインクルージョンとは」
やっと夏らしい天気になった、スウェーデン・ストックホルムです。このブログでも何度も書いているテーマ「インクルーシブ教育」。検索していただくと、複数の記事が上がってくると思います。「誰もがともに学ぶ学校」は、多くの人々が共有する希望であり、目指す姿であると思います。スウェーデンも、「みんなの一つの学校」を目指して、インクルーシブな教育に挑戦してきました。数年前にこの取り組みを振り返って30年といわれていたので、様々な教育改革とともに、インクルーシブな教育の推進を行ってきたといえます。しかしながら、数年前より、その理念がかえって子どもたちの学びを妨げているのではないかという声が現場から上がり始めました。今日はこの少し複雑な問題を考えてみたいと思います。 1.「同じ教室にいること」だけでいいのか? スウェーデンでは、1990年代以降、特別なクラスを減らし、どんな障害がある子どもも通常学級で学ぶ方針が強くなりました。この前提には、知的障害と自閉症(2010年まで)のある生徒は、特別支援学校に通うことができたという事実をお伝えしておくことも重要かと思います。2011年以降は、知的障害のない児童生徒は、通常学級で学ぶこととなっており、知的障害がある生徒は、通常学級か特別支援学校かの学びの場を選ぶことができます。このスウェーデンのシステムの根底には、やはり「すべての子どもたちは同じ空間、教室の中で学ぶべき」であるという信念、理想があります。重要なのは、この信念と理想は、学校だけではなく、保護者や社会にも強くあるという点です。しかし、スウェーデンでは、 制度としてのインクルージョンは進んでいるけれど、教室の中で、その子が何を感じ、どれだけ参加できているのかは、また別の話である という声も聞こえ、社会的インクルージョンなど、インクルージョンをいくつかの側面に分けてみると、必ずしも、場をともにしているからと言って、インクルージョンではないという見方が強まりました。 2.インクルージョンの捉え方、どこを大切にするか? インクルージョンの捉え方には、4つの視点があるといわれています。 人権としてのインクルージョン 場のインクルージョン 所属としてのインクルージョン 学びの質のインクルージョン この中の「場のインクルージョン」は理解がしやすく、語られることが多いのですが、スウェーデン...