この投稿は、旧ブログの投稿をリライトして、再投稿しています。
2022年7月16日に、初の単著「医療・福祉・教育・社会がつながるスウェーデンの多様な学校~子どもの発達を支える多職種協働システム」を刊行。是非ご一読を😊
今日は、過去のブログの中から、スウェーデンと中絶の歴史について書こうと思います。過去ブログは閉鎖してなくしてしまおうと思ったのですが、長く書いていて、私にとって貴重な情報が多かったので、少しずつリライトしてアップしています。
1.スウェーデンで中絶が可能になった年
2。2009年以降に行われた対策とは
ちょうど過去ブログの内容が、その予防啓発の内容でした。行われる予定だった内容は以下になります。
- 性教育の見直しと徹底。中学、高校の指導要領に明確にその内容を明記し、教員は性教育の教科の研修をうけ、教育するための教育をうける。
- 生徒の健康のチームの位置づけ避妊用具などの知識研修をうけた職員を配置。
- ピルなどの避妊にかかる費用を25歳以下の若者は200krの年間自己負担であとは、補助がうけられる。
- 学校で緊急用のピル(性行為の翌日に飲むことによって妊娠を阻止することが可能なもの:説明が不足していたらごめんなさい。)の配布。
- 性教育をSFIという移民のためのスウェーデン語学校でも付属して行うようにする。
上記のうちの、いくつかは、達成していますし、性教育の今はこちらをご覧ください。
「世界で最初に性教育が取り入れられた、スウェーデンの性教育の最新情報2022年版!」
3.詳しいスウェーデンの中絶の歴史
1975年:第18週までの中絶の自由が法律で認められる。特別な理由が認められれば、第22週まで中絶が可能。これ以前は、特別な理由がない限り中絶はできませんでした。
1996年:中絶法の改定。妊娠第12週以降に中絶した場合には、会話によるセラピーが義務付けられる。
2001年:患者記録に関する法律の改定。これにより、中絶がした人のパーソナルナンバー、住所、国籍などの記録が無くなり、日本の厚生労働省にあたるSocialstyrelsenが統計を取ることができなくなりました。理由は、中絶を行った女性に対する批判の元とならないようにするためだったそうです。
2007年:外国の女性がスウェーデンで中絶をすることが可能となる。
2009年:中絶した人の記録の開始が提案されるが、国会で却下される。
2013年:日本の厚生労働省にあたるSocialstyrelsenが行っていた独自の中絶に関する統計が中断される。
2014年:Socialstyrelsenが2013年の中絶に関する統計を発表する。しかしながら、統計の取り方が以前と異なるために、比較をすることは不可能。
(2015年のブログにあったもので、その後の歴史はまた今度書きたいと思います。)
4.中絶と障害児
過去のブログを読むと、スウェーデンでは、2011年以降、中絶した人の記録をしなくなっているようで、これ、もう一度確認したいところです。その時にすでに、記録を残しておくべきだという意見があったようで。お隣の国デンマークとフィンランドでは、中絶をした人の記録が残っており、その後についても追跡調査ができる環境にあります。こうした記録は、スウェーデンでは、終末医療と特別な医療などにはあるようです。このため、スウェーデンの中絶に関する研究や知識の多くは、お隣フィンランドのものなどが多く用いられているとあります。スウェーデンでは、中絶が恥ずかしいもの、恥であるという感覚があるからこそ、こういった記録を取らない方向にあるのかなと想像します。しかしながら、中絶に関わる様々な問題をより詳しく研究し、多くの人々に広めていくためには、こういった記録を集めて分析することは重要であると思います。
私が中絶に関心がある大きな理由が、女性の権利のみならず、障害児だとわかると中絶される傾向があること、出生前診断に関心があることも大きな理由です。生命の始まりから考えれば、女性の権利のみならず、胎児の権利、人の権利は何かというところにまで思いが行きます。スウェーデンの優性思想や出生前診断については、また別に書きたいと思いますが、中絶の大きな理由に、障害児があることは事実です。
スウェーデンユースクリニックの様子 |
2009年7月19日と2015年2月10日の投稿をリライトしたものです。
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