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集団は何人から?

  今日は、日本のオンラインの会に2つ参加しました。会に参加して考えたことや思ったことを、言語化したいと思います。日本を離れて20年、文章化、言語化することがいかに重要かを日々感じるようになりました。SNSとかいろいろやってますが、ブログである一定量の分量を書くことはとても重要であると感じつつ、なかなかできていない現状です。と、言い訳っぽい開始になりました。  一つ目の会は、参加者は8名くらいだったかな。宮城県で特別支援教育に関わる方たちが集まって、全障研のみんなの願いの中の連載を読み合わせ、話し合いました。大変よく計画されている会だと感じました。連載は、北海道教育大学の小渕隆司先生で「子どもの発達と集団」についてでした。書かれている内容は、現場にいるとよく目にする光景なのですが、ああして文章化して、その様子を客観的に意味づけるのは容易ではないと思います。話し合いの中で出てきた新しい日本語は、「横の発達」と「縦の発達」という言葉でした。私がいつも使うスウェーデン語では、あれだなあと思いながら、日本語での表現方法やその方の話をとても興味深く聞きました。私の多くの生徒もそうなのですが、ここで今日できたことが、明日家でできるとは限らないので、いかに同じ能力をいろんな場面でできるように般化していくかが、一つの目標になったりします。年齢などで見る「縦の発達」だけで見ることが多い中、こうした「横の発達」は、実は実生活では、とても重要です。この部分は、全体の中ではとても一部なのですが、スウェーデンの重度障害児の社会的つながりのなかで使われる言葉に、やはり、「横の関係」と「縦の関係」という言葉があり、「横の関係」は子ども同士のつながり、「縦の関係」は職員など周りの大人との関わり、といった感じで使うのですが、こうした状況をより分かりやすく説明する言い方というのは、重要であるなあと考えながら話を聞いていました。 長くなるし、アウトプットのための文章なので、続けて書いていくと、タイトルの部分の「集団は何人から」を考えていました。この点について、話し合いでは発言しなかったのですが、私も重度の重複障害児に長年関わってきて、この集団から学ぶことの重要性と「集団」の定義について考えることが多々あり、ここって実はすごく重要なのだと思うのです。「集団」という言葉から受けるイメージや、その人が...

書くことは、民主主義

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  あっという間に10日間。夏の休暇は、こうして、穏やかに、でも確実に過ぎていくのだなあと感じている今日この頃です。  夏の間にやろうと思っていることの一つに、昨年の夏に取っていた読み書きのコースの片方のコースの課題をやっていなかったので、それを提出して単位を取ることというのがあります。2コース取っていて、片方は最後のレポート出せたのですが、もう片方は断念し、持ち越したのです。その分をやろうかなと。こうして、後々課題をこなせるから、スウェーデンでフルタイムで働きながら、今までぼちぼち勉強を続けてこれました。(学部や学科によって、多少差があります。)  読み書きのコースですが、読み書きの発達についてを中心に勉強するコースで、昨年はいっていなかった課題図書が入っており、その中に興味深い内容がありました。それが、タイトルの「書くことは、民主主義」というもの。  読み書き計算は、学校で教える最も重要なことの一つであるのですが、この書くことというのは、民主主義に参加する土台をつくることにもなっているというもの。スウェーデンの学校で教員をしていると、この民主主義をいかに子どもたちに教え、実感してもらい、年齢と能力に合わせた形で実行してもらうかが、常について回ります。今回のコースでも、書くことと民主主義への参加の重要性が歌われていて、とてもスウェーデンらしいと感じ、また、書くことをこうした視点からとらえることの重要さを思いました。書くことの意味を勉強がてらまとめてみました。 書くことは、コミュニケーションであり、民主主義に参加する基盤であると弁論術と比較しながら、わかりやすく説明がされ、学校で教える基礎的な読み書きでも、この考えをもってして行うことは重要であると改めて思いました。 導入部分で、2017年12月8日にアメリカのオバマ氏の言葉が用いられていました。民主主義の庭と例え、民主主義の価値と社会システムは、決して、ただ手に入るものではないということが強調されています。人々がルールを守り、互いに互いの価値に敬意を払い、社会的平等と自由に価値を見出し、重きを置き、互いの違いに寛容であることが重要であり、このことを常に社会として、会社や学校などのグループとして、個人として、それぞれが、考えていくことが重要であると、私も思います。どこかの部分が欠けても、民主主義は、本当にもろ...

ドキュメンタリー映画「Crip Camp」

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友人より、アメリカの障害者運動のドキュメンタリー映画を教えてもらい、早速見ました。教えて下さって、ありがとうございます。とても興味深かったです。映画の名前は、  「Crip Camp: A Disability Revolution」 と言います。クリックすると、YouTubeのトレイラーが見れます。日本語名を調べてみると「ハンディキャップ・キャンプ:障害者運動の夜明け」とありました。Netflixで配信されており、制昨年は、2020年と新しいドキュメンタリー映画であることが分かりました。この映画は、元大統領夫妻のバラク・オバマ氏とミシェル・オバマ氏がが製作総指揮を務めているとありますね。  1970年代初めにアメリカで起こった障害者運動、障害者も同じ市民と認め、その権利をと、障害者が立ちあがりました。ドキュメンタリーは、障害者たちのサマーキャンプの様子から始まり、そこで、様々な障害がある人々が集まって自由に夏を謳歌する姿とは裏腹に、いかに普段虐げられてきたか、学校や社会で「他との違い」を意識して生きてきたかが語られます。映画では、個人に焦点を当て、個人が語る部分が多くあるのですが、初めの部分で印象的だったのが、「普通学級」に通うことになった息子にお父さんが「自分から前に出ていかなければいけないよ。向こうからはこっちにはこないから。」と話したというところ。こうした「障害者は人一倍頑張らないといけない」という暗黙の了解を、アメリカのこの時代には、親が子に話したというのは、歴史を感じ、印象的でした。 スウェーデンの障害児者の歴史をたどると、障害者が分けられてきたことが分かります。障害者でも「学ぶことができる」人々と、「学ぶことができない」とされた人々です。多くの場合、前者の学ぶことができる人々は、知的障害がない、もしくは比較的軽い人々で、後者が重度の知的障害を含む重複障害の方たちというような分け方です。今回のドキュメンタリーの中に、少しだけ、この後者の人々の様子が描き出され、それは、胸をえぐる映像でした。大型施設に収容され、服も十分に着せてもらえず、食事は一人当たり3分で食べさせるといった、ひどいものでした。こうした大型施設の脱却を訴えたのもこの時期で、スウェーデンも最後の大型施設がなくなったのは、80年代の終わりだったので、同じような流れであると感じ...

新年あけましておめでとうございます

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 新年あけましておめでとうございます。  昨日見た今年初の太陽です。確か時間は12時過ぎ。日本の母に早速「初日の出」とともに「明るい明るい」と送ると、「そんなに明るいようには見えんが」と帰ってきました。😂😅 今日は、粉雪が舞い散る冬らしい日でした。  新年あけましておめでとうございます。皆様の年越しはいかがでしたでしょうか。私は、のんびりとした年明けで、夫婦そろって、勉強したり本を読んだりしていました。  1月1日は、日本の兄妹とオンライン新年会をしました。私のパートナーは、とにかく朝が弱く、スウェーデン時間10時からの参戦はあきらめ、12時からとしてあったけど、結局13時近くになってやっと人間らしくなり、みんなに挨拶ができました。兄妹4人とその家族と母で、総勢16人でした。  昨年は、コロナウィルスが猛威を振るい、思わぬ年になりましたが、今年はどんな年になるのだろうかと思います。私自身は、今年はスウェーデンにきて20年を迎える年で、一つの節目としてやりたいことがいくつかあり、地道に日常を重ねながらやっていければと思っています。  このブログも、細々とやっていると、思わぬ昔の友人からの連絡があったりするので、月に数回の更新でも続けていこうと思います。もっとスウェーデンの福祉や教育について知りたい方は、ぜひ、インスタグラム、ツイッター、Youtubuチャンネルをご覧ください。Youtubuチャンネルの今年初の動画は、 スヌーズレンの紹介 です。 今年もよろしくお願いします。