2011年12月29日木曜日

スウェーデンの教育の歴史に残る年、2011年

今年も残りわずかとなりました。こちらのブログで、2011年ストックホルム3大ニュースというのを書き、こっちのブログでも2011年を振り返ってみようかと思いました。

 スウェーデンの教育の歴史を振り返るといくつか重要な年というのがあります。例えば、1994年とか1998年とか。この歴史に残る年となったのが、
今年2011年
であります。

何が起きたかって、たくさんあるので少しまとめていこうと思います。

新しい学校法がこの秋学期から、適用された。法律は7月から適用されているのですが、夏休みだったので、実際に効力を発揮し始めたのは、秋学期からです。
新しいカリキュラム、教育要領が小学校中学校で施行された。これによって、新しい成績のつけ方で今学期初めて成績がつきました。
幼稚園のカリキュラムも改定され、部分的に変わりました。
教員免許の申請が始まり、初めて教員免許の交付が行われました。
高校改革も行われ、新しいシステムになりました。


こんなにたくさんの初めてがあった年だったのです。こういったさまざまな変革があった年だったので、もちろん、教育界はものすごくいろんな問題を抱えていました。移行期間があったわけではないので、(一応事前に情報はもらっていましたし、研修もありましたが。)今後も混乱と問題は続くでしょう。これらの改革の成果はみえてくるのはまだまだ先のはなしですしね。

後もうひとつ、大きな出来事といえば、
里子に出されていた子どもたちがうけた被害に対する謝罪と賠償金の支払いが確定したこと。
でしょうね。これも長く新聞を騒がしたないようです。事情があって実の親が面倒をみれない子どもたちは、里子に出されます。その出された家庭で、ひどい目にあった時代があったスウェーデン。そういった被害を受けた子どもたちに(今は大人ですけどね。)対する社会的な謝罪がストックホルムの市庁舎で行われました。賠償金の話も出ては消え、でしたが、最終的に払われることも決定しました。こういったすでに恵まれない家庭に育った子供たちが次の被害をうけないようにしていくことはとても重要な社会の問題であり、責任でもあります。統計によれば、こういった複雑な家庭に育った子供たちが学校でうまくいかなくなる確立は、50%前後といわれています。二人に一人が学校教育でもうまくいかず、その後の人生でも思い荷物を背負って生きていくことになると。これに関して、学校や教師、大人ができることはたくさんあると思います。

こんな感じの2011年でした。来年はどんな年になるのでしょうか。
みなさん、よいお年をお迎えください。
来年も教育に関する情報を載せながら、いろんな方と交流できるのを楽しみにしております。

2011年12月17日土曜日

スウェーデンの教育の弱点とその未来

長かった秋学期も来週の3日間で終わります。スウェーデンの特別支援学校の教員として働き出して4年目になり、今学期はかなり余裕がありました。振り返っても、子どもたちの成長や発達が目に見え、満足感があります。

 さて、今日は、スウェーデンの教育の弱点という、なんとも大きな題で少し書きたいと思います。
 ここ数年、叫ばれているスウェーデンの教育の崩壊、新聞で教育関係の記事を目にしない日のほうがめずらしいほど、教育の今後について叫ばれています。新しく報道され、大きく取り上げられたのが、私立の学校が多額の利益を上げていること。これについては、また別で詳しく書こうと思います。ここまで、いろいろ言われるのですし、実際に働いていても目にしているのですから、スウェーデンの教育に問題が多くあることは事実です。その中でも特に今のスウェーデンの教育の大きな弱点だと思う点が、やはり、

くじびきのようなもんだ

という点です。???と思った方、いると思います。詳しく書くと、

まず、生まれた時点で子どもたちはくじ引きを引いている感じです。
どんな親のもとにうまれたのか、
その親はスウェーデン人なのか、外国人なのか。
そして、お父さんお母さんは、大学卒なのか、高卒なのか、もしくは、学校を出ていないのか。

といった感じで、これに続き、
スウェーデンのどこの地域に住んでいるのか、
どんな幼稚園にいったのか、
どんな小学校にいって、どんな先生が担任になったのか。
どんな高校にいったのか。。。。。

といったくじ引きとでもいえるようなこれらの条件により、その後の自分の教育が変わり、能力がかわり、人生が変わってしまいます。


日本人からすると、そんなの当たり前と思われる方、いるかもしれません。でも、こちら、スウェーデンでは、この点に関して、ものすごく理念というか考えが深くあり、教育の考え方に、

どの子どもも、親の能力や経済力などにかかわらず、平等に最大限の能力を伸ばす権利がある

という考えがあり、これに基づき、教育は無償になっており、学校教育も評価なども含めて全国的に平等であるべきであるという思想、発想に基づいて教育が成り立ってきていました。国の教育には、その大きな無限の力があると考えられているのです。しかし、1994年に出された前のカリキュラムが、

あまりにも不透明で、分かりにくく、
政府が、その分かりにくいカリキュラムにもかかわらず、根本の考え方を適切に示してこなかった

ために、(他にももちろん多くの要因はありますが。)上記のように、受け持った教員の能力によって大きく変わり、親の能力によって大きく変わるというような教育になってしまいました。これは、特別支援教育にかぎっても同様です。こういった話は、日本で教員をしていても大なり小なり耳にした話ですが、日本のように、かなりかっちりと枠があると、それでもそれなりのラインは保っていきます。教えるのは、免許を持った教員だけですし、教科書も検定があるなど、それがよいかは別として、枠があります。スウェーデンでは、ひどい話をすれば、教員が教育課程を受けていなかったり、学校に大きさによっては、教科に差がでたり、枠組み自体が問題になっていることもあり、その上、カリキュラムがあまりにも分かりにくく、何をどう教えるのか、到達度はどうするのかなどがものすごくあいまいになってしまっていました。
この94年のカリキュラムや変革に関する研究などは徐々に出てきている模様です。私が思うに、この流れで、学校の選択自由化が入り、親や子どもは、自分に合う、よりよい学校を選択し学校を変えていったっために、よりいっそう格差が広がったのではないかと。

じゃあ、スウェーデンの94年のカリキュラムは何を目指したのか。おそらく、私が受ける印象では、子どもたちの責任能力を伸ばし、選択の自由を取り入れ、自分で考えて問題を解決していく力を養う教育を目指したのではないかと。もちろん、その根本には、民主主義の考えをいれて。
残念ながら、この目指した能力は、ピサの国際的なあの統計では、出てこないものです。こちらの先生方がいわれることに、あのピサで分かる、図れる能力には偏りがあり、悲惨なのは、その図れる能力をスウェーデンはおろそかにしたという事実があるのだろうと思われます。要するに、知識、図れる知識を子どもに入れることを怠ったのではないかと。

今、スウェーデンの教育は大きな転換期にきており、これらの教育の弱点などが調査研究され、新しい形を模索し、作り上げていく過渡期にあります。私は、今後のスウェーデンの教育は決して悪いものではないだろうと予測しています。今までスウェーデンが培ってきた力は、けっして無駄ではなく、今の転換期に、フィンランドの教育をめざしたり、中国の教育を目指したりするのではなく、第3のスウェーデンの教育を作り上げていけば、おそらく、10年15年後には、新たなスウェーデンモデルが誕生するのではないかと思います。

この私の予想があたったかどうか分かるのは、私が定年退職するころだろうけど、少し気になる点がたくさんあるので、これから、ひっそりと研究していこうかと思っているところです。

2011年12月2日金曜日

スウェーデンから、Specialpedagogが消える?!

ものすごく久しぶりの更新です。この間、足を運んでくださった方、ありがとう。。体調をくずしており、なかなかパソコンに向かえずにいました。書きたいなあと思っていたことを少しずつあげていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

 さて、まずはこちら!
スウェーデンから、Specialpedagogが消える?!
です。これを理解するためには、スウェーデンの特殊教育のシステムを知る必要があります。ので、そちらからまず紹介したいと思います。
日本では、特別支援学校の教員になるための学科やコースなどがあり、そこを出ると教員になれます。このあたりは、日本の方は詳しいと思うのでこのくらいで。。。

こちらスウェーデンでは、特殊教育にかかわるためには、まず、教員にならないといけません。幼稚園教諭でもいいし、小学校でもいいし、学童保育の教員でもいいので、とにかく教育課程を終えていることが条件になります。その後、その分野で3年以上の職務経験をつみ、やっと特殊教育関連の資格をとる大学のコースに入れます。
現在のスウェーデンでは、その特殊教育関係の資格が2種類あります。
Specialpedagog
Speciallärare
です。
Specialpedagogは日本語で訳すならば、特殊教育専門家とでもなるのでしょうか。大学で専攻する場合には、障害全般を網羅し、現在の内容をみてみると多くの時間を話し合いの仕方やグループのまとめ方などといった、こちらで呼ばれる「Handledning」に多くの時間が割かれているようです。
Speciallärareのほうは、日本でいうような特別支援学校の先生に近く、現在では、数学専門かスウェーデン語専門の先生に分かれています。

どちらのコースも全日制の場合で1年半かけて資格をとります。

しかし、この二つの資格、分かりにくいんですよね。何がどうちがうのか。学校などが応募している場合はたいていどちらの資格でもいいとなっているし、実際に現場にも両方の資格が存在しています。そこで、出てきたのが、この分かりにくい2つの資格を統一しようという動き。今のところは、調査中でどうなるかわからないのですけど、来年の2月ごろには結果が出るようです。

方針としては、Speciallärareを残し、そこにいくつかの専攻を設けるようです。そうなると、Specialpedagogという仕事はなくなるんでしょうね。私もずっと前からどちらかの資格をとろうかと悩んでいたので、こうなると待っていて正解だったかもと思っています。まあ、タイミングが合わなかっただけといえばそうなんですけど。あとは、いきたいコースがなかったのと。。。

で、ちょっと裏話。スウェーデンの私が働いているような特別支援学校で働くための条件が、2015年から、幼稚園教諭をもとにしたSpeciallärareで、発達障害を専攻としていることになっています。でも、この先生になるためのコース、ここ数年存在していないんです。数年っていっても、同僚が言っていた話じゃあ、10年は存在していないとか。そんな資格を持った人がいる世代は、もう退職するような年代の方たちばかり。それで、現場では無理だろうという声が上がっています。これらの声に絡んで上記のような流れになったのではないかなあと思うのです。まあ、想像だけど、ぐちゃぐちゃで分かりにくい上に、その中で片方だけの資格をよしとしてしまえば、文句は出るわけで、今のところ、Specialpedagogでも、働けるだろうとはいわれているので、たいした問題ではないと思っていたけど、政府は、いろいろ考えている模様。。。こういう時期は、あまり決断を早まらず、情勢を伺うに尽きると思った私です。


最後に、付け足せば、この話が通って統一されても、また、何年かたったら、戻ってくるような気がするんですよね。Specialpedagog,,,歴史は繰り返される?!

スウェーデンの田舎から学校が消える

スウェーデンの学校制度にないもので、日本が優れていると思うのに、

どんな田舎の学校にでも、免許をもった有資格の教員がいること

があります。こちら、スウェーデンでは、2015年の秋から、教員免許を有する教員のみが成績をつけられるなどの法律が本格的に始動するにあたり、多くの田舎の学校が閉鎖されるという危機に立っています。今まで、ここを許してきたということが信じられないのですが、まあ、それは、何度も書いてきたことなのでおいておいて、2015年にはまだ、数年あるのですが、今から田舎の学校では、閉鎖の話が出ている学校もあるようです。理由は、それまでに、資格をもった教員を確保できない、現在の教員が資格を補充することができないなどの現実的な問題を抱えて、少数の田舎の学校(低学年の子どもを集めた学校である場合が多い)を近辺の学校と統廃合しようという話があるようです。これは、北のほうの学校であった話ですが、似たような話をちらほら聞きます。

この元には、教員免許以外にも、今回の法改正でいろいろと変わった点を補う経済的な予算がないこと、もともと少人数の学校を運営するのは予算がかさみ、多くの市では減らしたい傾向にあることなどなど、ほかの要因も加わっているようです。また、スウェーデンには、子どもが学校に通うまでにかかる時間や距離に関する決まりがないため、もしも、子どもが毎日通学に2時間半かかっても、それをとめることはできないということもあります。このあたり、日本にそういうことに関する法律があるかどうか分からないのですが、実際に自分の子どもが、毎日2時間半車の中ですごすというのは、親にとってあまり好ましいものではないようには思います。

これに関して、日本の教員採用制度を同僚に話したところ、確かにいい方法ではあるが、

やっぱり、自分でどの学校に勤めるか決めたい

とのこと。まあ、確かにそうだろうなあ、お国柄と思いました。こちらでも、配置換えや学校が変わることもあります。が、基本的には、採用された学校勤務になります。市の学校だと、採用された学校がどこであれ、市の職員となるため、その後の学校の状況によって違う市内の学校勤務になる場合もあります。また、前出の免許の関係で、今後配置転換が増えるだろうともいわれています。これは、たとえば、同じ市内である学校に数学の先生が複数いて隣の学校にはいない場合、希望を聞きながらだとは思うけれど、先生を入れ替えたりしていくことになるという指針をうちの市ではやんわりと聞かされました。

今後、このような展開によって、田舎の子どもたちが不自由な生活を送ることがないようにしてほしいなあと思ったのでした。