2011年8月26日金曜日

スウェーデンで行われているいじめ対策

今週は、夏休みが終わり子どもたちが元気に学校に戻ってきたので、本当にあわただしい1週間でした。そんな中、昨日も今日もちゃんとジムに行って、トレーニングしてきました。すばらしい。

 先週の金曜日と比べるとそれほど疲れていないので、まあ、体は少しずつ慣れてきているんでしょうね。でも、いろいろ溜め込んでいた愚痴、結局今日相手の方にぶつけてみました。「いらいらするんですけど」ってね。誤解だった部分もあったけど、やっぱり、いっていることにつじつまが合わないような気がします。まあ、一応思っていることは伝えたし、私ができないことは伝えたので、スウェーデン語でよくいう、「Sova på saken」です。時間を置いてみようって感じの言葉で、直訳するなら、「ことを寝かせとけ」みたいな感じです。すぐに、結論が出ないようなものはみんなこの言葉で片付け、もう一度話題に上がれば、意味があったことで、あがらない場合もあります。

 さて、いじめに関する話を少し前に書いたのですが、それに関して、もう少し詳しく書こうと思います。
 スウェーデンでもいじめがあるという話をしました。スウェーデン語講座ではないのですが、基本用語から。

いじめは、Mobbning
差別は、Diskriminering
不平等な扱いは、Särbehandling
嫌がらせは、Trakassering


 日本の方にイメージがわきやすいように、「いじめ」と書くんですけど、スウェーデンでは、いじめを含め、嫌がらせや差別、(これには、人種差別や男女差別などが含まれます。)果てまたは、不平等な扱いなど、すべてが含まれます。基本的な考え方は、日本と同様だと思うのですが、
「本人がいやだと感じるものすべて」
 
「ほかの人と同等に扱われていない」
 ということで、いじめや差別としてとらえます。

 で、これらすべてのことを予防し、発生した場合にいかに対応するかを記したものが、各学校にあり、それを、
 Likabehandlingsplan(平等対策計画とでも訳しましょうか。。。と今まで読んでいたのですが、今学期突然、名前が変わりました!よくあることだけど、みんなぽかーんとしてきいていました。今度の名前は、

Planen mot diskriminering och särbehandling(差別と不平等な扱いに対する計画)

といいます。名前が具体的になったんですよね。きっと。それが目的だったんだよね。予断ですが、今日、私は職場で前の計画書の名前を新しい名前に書き直すという仕事をしていました。で、ずっと内容を読んで確認し、新しい名前と内容を付け足しました。

 この秋から施行されている、新しい学校方では、この計画書を作成し、そこに実際に起きた場合の対処法とこれらが起こらないように防ぐ方法について書いておくことを義務付けています。

 ちなみに、この計画書で私がスウェーデンらしいと思うのは、明確に、すべての人という態度をとっていることです。これは、児童生徒のみではなく、保護者、職員すべてを含めて、いかなる差別も行わないというものです。また、職員同士や職員に対する差別の場合は、即校長にまわり、大人と大人ということで、上のものが対応することになります。このあたり、私のような背景の教員にとっては、安心して働ける環境であり、心強いばかりです。


 このあたりが、スウェーデンのいじめの対策の基盤といえると思います。しかし、これができたのは、そんなに昔ではなく、恐らく5-8年ほど前から始まり、ちょうど私が幼稚園で働いていたころ、(5年ほど前)幼稚園でこの計画書の作成にかかわったし、今の学校も作成グループが残っていて、しっかりしたのができたのは、私が働きだしたころなので、そんな古い話ではないですね。今後、いかにこういった計画書が有効に使われ、差別などが減っていくか、大変興味深いところです。

2011年8月20日土曜日

スウェーデンにもあるいじめ

1週間が終わり、土曜日の朝です。2ヶ月働かないということは、こういうことなんだと実感した、週末。足が痛い。。。体が痛い。。。だらだらすごす休みと違い、いくらスウェーデンの仕事はじめといっても、研修会に会議、会議で、じっと座って話し合いが続き、体はやっぱり、慣れていないようです。

 今週の初めの会議で、校長副校長の話の内容で印象的だったのが、こちら。

「うちの市の違う地域で争われていたいじめの件は、結局損害賠償を払うことになった。理由は、きちんと、記録されていないため。記録の内容も、その生徒がもっとしっかりするべきだなと、生徒にむけたものであり、学校側がどうするかが記載されていない。」

という内容。これは、いじめがなかったとかそういうことではなく、スウェーデンでは、きちんと学校がいじめに対して対応していたということが立証されると、損害賠償はでないことになっているので、裁判などになった場合に、その記録文書によって変わってくるのです。これは、それに関する校長の言葉であり、この部分に関して集中した言葉だと了承ください。
予断ですが、私の働いているような特別支援学校ではいじめというのの存在形式がほかの学校とは違うので、ふーんときいていることが多いのですが、小学校もくっついているので、そちらでは、よくある話であり、とても重要な部分です。


学校法が変わり、施行されてから初めての年度になることもあり、それでかなあと思っていたのですが、どうもそれだけではないようだと気がつきました。なぜならば、今週の新聞など、ものすごくいじめに関する内容が多い。

 ざっと読んだ中で印象的だったのが、いじめにあった11歳の女の子の話。
いじめられているにもかかわらず、学校側はそれを彼女が自閉症かも知れないからという理由をくっつけ、診断検査まで行ったが、結局彼女は自閉症ではなかった。というもの。

ひどい話。いじめられた子どもは、まわりの大人からも支援や援助ではなく2次的ないじめを受けているこの現状。


 スウェーデンでは、いじめや差別に対する対応計画書みたいなものがあり、いじめが発覚した時点から、この計画書にそって、私たち教員は動きます。それらの文書や個人の記録を書く際に気をつけることは、

いじめられている子どもをどうこうする、変えるのではなく、私たちが学校で何をできるか何をしていくかについて書く

というもので、それにそって、ひとつひとつ対応していくことが重要だということでした。詳しく書くならば、いじめられている子の性格が悪いからだとか、自閉的な傾向があるだとか、そういったことでは解決にならず、教師は教室で子供たちにこういう援助をしたとか、学校ではこうした、など、私たちが何をしていくか、したかが重要であると。

こうした文書がしっかりと残っている場合、また、学校側が手立てをうっていた場合は、裁判になっても損害賠償をとわれることはありません。私たち働いているほうからいうと、こういった記録文書は自分たちの身を守るための文書にもなるため、しっかりと書いておく必要があります。
また、このいじめなどに対する計画書って、ものすごく時間をかけて作っており、全職員がしっていないといけないので、これを活用していけば、いじめを少しずつなくしていくようなきっかけにはなりえると思います。
新聞などでは、こうした対応の対処期間を定めるべきだという声もあります。いじめに関して、まだまだ、いろいろあるので、少しずつ紹介していきたいと思います。