2017年9月23日土曜日

学校法には規定がない保護者会

 あっという間に9月も中旬を過ぎ、こちらスウェーデンは、すっかり晩秋です。北のほうでは雪が降るとか降らないとかと天気予報で流れると、もうそんな時期かと思います。仕事はいたって順調、新しい校長先生は、校長歴が長いだけあって、特別支援学校は始めてといっても、安定感があります。長らく、校長が不在だったこともあり、新任校長からは、

「上がいなかったということがよくわかる組織」

と、お褒めの言葉?!をいただいています。新しい校長と新しい組織で、学校教育の発展に関わる仕事を第一教諭としてもしていくことになっているのですが、こちらは、何からとりかかるかなど、いろいろと決めなくてはならないこともあり、まだ、動き出したばかりです。スウェーデンの特別支援学校は、一応、2018年秋学期からは、有資格者が先生をするとなっていますが、うちは、無免許の先生が多いので、そのあたりも懸念事項です。

 今週は、うちの学校でも、保護者向けの新年度の説明会がありました。小中学部と別れたこともあり、生徒12名の保護者、3名が参加してくださり、穏やかな保護者会でした。この保護者説明会、スウェーデンでは、就学前学校から高校まで普通に行われていています。ほとんどの人が働いているスウェーデンでは、こういった学校での保護者向けの会などは、夕方から夜に行われることが多く、うちの学校は、18時からでした。で、今年は、この保護者会、開く必要はないのではないかというのがSNSを中心に話題になっています。実際には、どこにも開かなくてはいけないという規定はないので、おそらく、伝統的に学校ではこういった説明会を開いているということなんでしょうね。昨今、スウェーデンでも教員の過重勤務が話題になっており、夜に行われることが多いこういう会議も、必要性の有無が問われるのでしょう。

 ちなみにうちの学校では、保護者が誰も来ない可能性が高いから、やらなくてもいいんじゃないかという感じで話がされ、一時は保護者に確認しようかとなったけど、おかしいだろうとなり、結局、お知らせの文書を事前にもう一回流しました。当日、時間に来てくれたのは、私の生徒の親さん一人で、もしかすると一人かも?!と思われたのですが、職員側は校長含めて5名なので、威圧的な保護者会って感じですが、結局、遅れて2名さんかしてくれて、アットホームな感じに終わりました。例年、小中学部の親さんのほうが参加者が多く、高等部くらいになると大体わかっているという感じで、参加を見送られる方も多くいますし、施設に子どもを預けている保護者は近くに住んでいないので、参加をされない方も多いのです。

 保護者会が終わったので、次は、今年度の個人教育計画を立て、個人懇談の準備にとりかかります。院のレポートが2つのこっているので、それをこなすのも課題です。たまっていたメールなどの所要を済ませ、衣替えも済ませたし、よい週末となりました。みなさんもよい週末を!

2017年8月10日木曜日

思い出の姉妹校再訪

 前回の「これはスウェーデンではないかなと思った日本の保育園事情」、妹から、岐阜弁がすごいとお褒めを。岐阜といえば、世界遺産の白川郷を思い浮かべる方が多いようで、その昔、岐阜から来たというと、「まあ、あんな山奥から」といったようなコメントをいただくことがありました。といっても、私は平野部出身なので、山はそばにないところで育ったのですが。。。そんな平野部で生まれ育ったので、実は、都会のホテルに泊まるのが苦手だったりします。地震があったらどうしようかと本気で考えてしまいます。

 
 なかなか進まない日本滞在記ですが、他の方の旅行記とか見ると、本当に感心します。写真とともに、食べたものとか紹介してあったりすると、いいなー、楽しそうだなあと思います。が、そんなマメさは私にはなく。。。今週は、夏の休暇、最後の週で、来週から仕事なので、書かなければならない原稿と真摯に向き合って、毎日を過ごしています。


 妹の友達と一緒にちらっと「放課後等デイサービス」を見て、大学時代の友人に会いがてら「児童心理療育施設」みて、その間に保育園の七夕お遊戯会を見て、そして、次は、広島の姉妹校を再訪しました。日程的に、この日しかだめなのですが、訪問できませんかとお願いしたら、校長先生、教頭先生、快諾くださり、お邪魔することができました。姉妹校には、過去2回同僚たちをつれて訪問していますが、ずっと通訳をしていたため、もう一度ゆっくり見たいなあと思っていました。日本の学校は職員の異動があるので、あまり間が空いてしまうと知らない先生ばかりになってしまうので、その前にと思っていました。

 前日は、尾道により、こんな景色を楽しみました。大学生の時に一度訪れたことがあった尾道、懐かしかったです。今度はしまなみ海道を自転車で渡ってみたいなあと思います。

夜は雷に大雨で、警報も出て、学校はないのではないかと心配していましたが、そんなことはなく、普通に学校やっていました。この日はちょうど学校案内の日だったので、私も見学者に交じって説明を聞き、授業を見学してきました。朝から、子どもたちが帰るまで自由に学校を見学させていただき、やはり、いろいろ聞けなかったことなどを聞けて、先生方といろいろ話もできて、勉強になりました。

学校には姉妹校プロジェクトのコーナーもありました。こうしてこうして再訪できたことをとてもうれしく思いました。懐かしい先生方にもお会いすることができ、スウェーデンを訪問してくれた生徒さんと保護者の方にも合うことができました。2012年に始まったプロジェクトがいろいろと思い出された訪問でした。


2017年8月7日月曜日

これはスウェーデンではないかなと思った日本の保育園事情

 日本滞在中に楽しみにしていたのが、甥っ子姪っ子の成長を眺めることでした。一番小さい甥っ子は、すぐ下の妹の子で4歳。お口が達者でごねてばかりいるので、ついたあだ名は「ごねちゃん」。ごねちゃんは、見ていても面白いし、話をしていても面白いです。

 このごねちゃん、保育園の年少さんなのですが、私が日本についてすぐに「七夕お遊戯会」というものがありました。このお遊戯会に関連して、「これはスウェーデンではありえんな。。。」と思ったことがありました。以下、ごねちゃんとの会話から。。。

私:「今日保育園でなにした?」
ごねちゃん:「リバーサルした。」
妹:「お遊戯会のリハーサルやね。」
ごねちゃん:「リバーサルやて。」

と、毎日、今度の土曜日にあるお遊戯会のリハーサルをしてるようです。リバーサルらしいですが。土曜日の午前中に小学校の体育館で行われる、このお遊戯会、私もせっかくなので、見に行くことに。で、お遊戯会には、全員、「浴衣」で参加することになっているとのこと、体が少し小さいごねちゃんに合わせて、浴衣を直すことにしました。

私:「ごねちゃん、ちょっと、こっちきて、浴衣長さ合わせるで。明日お遊戯会で着るでしょ。」
ごねちゃん:「いやや。きいへん。」
私:「みんな、きてくるよ。」
ごねちゃん:「きいへん。Aくん(大好きなお友達)着るって言ってなかったし。先生もそんなこといわなんだ。」
妹:「おにちゃんもみんな着てたでしょ。みんな着てくるよ。」
ごねちゃん:「きいへん、リバーサルで着んかったし。」

と、浴衣は着る気なしで、口ばっかり達者な4歳児は、リハーサルで着なかったと、もっともらしい理由をいい、ああだこうだといいます。ま、着なくてもいいから、長さだけ合わせるかということで浴衣を直し、翌日持っていきました。みんな他の子は、家から着てきていたけど、ごねちゃんは、「着ない」というので、持っていくことに。浴衣を着て歩いている子たちをみても、着ないと。結局、先生に浴衣着ないというのでと、浴衣とごねちゃんを渡すと、さすが、慣れています、さささっと、服を脱がせて、着せてしまい、はいできあがりと。周りには、数名嫌がって泣いている子もいましたが、ごねちゃん、着せられてしまえば、なんてことはない、にこにこと座っていました。

で、私が一番驚いたのが、来ていた子ども、みんな浴衣を着ていたこと。リハーサルで着せることもなく、お便りに書いただけで、これだけみんな浴衣を着せてくることがすごいなあと。岐阜の田舎ですし、みんな兄弟や親せきなどからもらったものがあるにしても、持ってくることが大前提で行われていることに驚きます。こういうのはスウェーデンではないかなあと感じました。下手すると、法に触れるんじゃないかとまで思ってしまったくらいです。


お遊戯をすれば、みんなそれなりに踊れていて、踊れない子がいないことにも驚きました。多少動きが鈍い子や立っているだけの子はいても、大きく外れてできない子はおらず、今年はたまたまとは聞いたけど、それでも、日本だなあと逆カルチャーショックを受けました。日本の子どもたちは、早いうちから集団で動くことを教えられ、机について何かすることを覚えます。スウェーデンの保育園で働いていたころは、なれなくてつらかった外保育ですが、何年もたち、今ならあの教育の良さを感じることができます。均等で、均一な集団をみて、異質だと感じるようになったのは、やはり外国暮らしが長いからなのか、特別支援教育に長くかかわってきたからなのか。。。保育園事情、就学前学校の状況も大変興味深いと思ったお遊戯会でした。

2017年8月4日金曜日

児童心理療育施設とは

 普段フルタイムで働き、勉強もしていると、なかなか隅々まで掃除ができないので、夏の休暇中は大掃除をするようにしています。スウェーデンでも、クリスマス前に大掃除をしたり、イースター前に掃除したりする習慣はあるのですが、私は、夏の休暇中が一番時間もあって気分がよいので、この時にやるようにしています。ということで、昨日は、キッチンとバスルームの大掃除。きれいになりました。

 今日は、日本で見てきた施設や学校の中から、児童心理療育施設について書こうと思います。私は岐阜県出身で、今回見てきた施設は、岐阜県関市にある社会福祉法人、桜友会の児童心理養育施設、桜学館です。

 この施設は、2005年6月に岐阜県内初の施設として建てられました。児童心理療育施設ということで、心理的な要因により、学校生活になじむことができず、不登校やひきこもりや、いじめなどの問題を抱えた子どもたちが、一時的に、親元から離れて施設で暮らしながら、心理治療と生活指導を受けることができる施設です。近くの小学校と中学校の分級という形で、正規の義務教育を受けることができるように設置された特別支援学級が敷地内に併設されており、子どもたちは、衣食住を一体化させた総合環境療法というものを受けているとのことです。

 私はこういった施設があることを知らず、前回帰国したときに大学時代の友人から聞きました。2005年にできたとあるので、私がスウェーデンに渡った後にできた施設ということで、時代の流れの中でできてきた施設なのであろうと思います。県内唯一のこの施設、全都道府県に作られるように国から指示があったということですが、いまだにないところもあるようです。


 施設内の印象は、家庭的な雰囲気が漂っていて、病院のような感じはせず、温かみを感じました。3回建ての生活棟には4ユニットあり、各ユニットは12人定員ということでした。ただ、12人だと少し多いと感じるようで、状況に合わせて定員よりも少ない人数の場合が多いそうです。今回もだいたい8人程度ということでした。部屋は、個室2部屋二人部屋2部屋4人部屋一部屋になっており、2人部屋を一人部屋に直したりして、できる限りプライベートを重視していることもわかりました。部屋には漫画などもあり、少し物が少ない普通の子どもの部屋という感じでした。浴室は3部屋あり、自分で入り、洗濯も自分でするそうです。生活指導はこの施設の一つの要になっており、基本的生活習慣を身に着けることはもちろんですが、独り立ちをしていくための様々な課題を身に着けていくことにも力をいれているそうです。

 施設には、指導員さんに加えてセラピストいて、心理治療を行っています。ひきこもりや不登校の子どもは昼夜を逆転させていたり、生活のリズムがつかめていなかったりする場合が多く、そういうところから順番に支援、援助していくそうです。学校に行ける子は、敷地内の学校に行き、登校が難しい子は施設内で勉強をするそうで、学校の先生とは常に連携をとっていて、確かに隣接しているとやりやすいだろうと感じました。

 脱施設化が叫ばれるようになり、子どもを施設に入れるということがあまりなくなったスウェーデンでは、里親などを利用する場合はあっても、このような施設を一般的には見かけません。(全くないわけではありません。)里親になりたい人の数にも限界がありますし、当たり外れがあるのも事実である現実を踏まえると、できる限り、家庭的な環境で、専門的な援助を受けながら、問題と向き合えるというのは、一つの形ではあるかなと感じました。

 

 分級になる学校も見学をして、分級というくらいなので、小さな教室をイメージしていましたが、そんなこともなく、明るい学校で、先生と子どもたちが頑張って勉強していました。籍を残したままで、分級で学ぶので、スウェーデンでその昔あった、「リソース学校」と呼ばれる学校によく似ていると思いました。スウェーデンの場合、入所という形はとりませんが、籍を残し、元の学校に戻すことを目的としているというところでは似ています。ただ、なかなか元の学校に戻れない、戻せないという問題が出てきて、リソース学校そのものが問題視されてしまったスウェーデンの現状を伝えると、同じような状況がなきにしもあらずだと。

 本校とはあまり交流がないそうで、分級は分級で、年間を通じて様々な行事を行い、子どもたちが前向きに問題と向き合いながら、学習している姿が見えました。先生方は、心理的な問題を抱えた子供たちということで、難しいことも多い中、頑張っていらっしゃるのだと思いました。

 スウェーデンでも、引きこもりや不登校の子が増えていることは、問題になっています。こういった施設は現実的ではないにしても、専門的なケアと生活指導を一体化させた方法を家庭と融合させて行えれば、何かしらの糸口が見えるのではないかと感じた訪問でした。







2017年7月28日金曜日

ITスキャンダルとスウェーデン政府内閣改造

 スウェーデンに戻ってきて、こちらで大騒ぎになっていたのが、国の交通局(とでも訳せばよいのかしら)そこが、起こした個人情報漏洩スキャンダル。簡単に簡単に事の流れを話すと、

 スウェーデンでは、車のナンバーとか免許などを管理している交通局は、仕事がすでにアウトソーシングされていて、その中でもITシステムを請け負っていた会社から、情報が漏れたというもの。国民の運転免許に関する情報もアクセスが可能だったそうで、私のような一般市民ならまだしも、特別な理由で個人情報を隠している人などは、気が気ではありません。そして、軍の機密事項も漏れていたとのこと。これもまた、長らく戦争をしていない国であっても、大問題です。どこに軍の車両があり、誰が運転できて、などといったことまで、ほかの国に知られることは、国としてあるまじきことです。

 このスキャンダル、腑に落ちないのが、関係者のうちで発覚してからすでに1年以上たっていること。人が行うことですし、何かしら間違いが起きても仕方がないとしても1年以上もたっているのは問題で、この事実を首相が知ったのが遅いことが問題となり、野党側が関係した3大臣に対して不信任案をだすと発表しました。これに答えるように行われたのが今回の内閣改造です。

 辞任したのが、インフラ担当大臣、アンナ・ヨーワンソンと、内務大臣、アンデッシュ・イーゲマン。防衛大臣のペーテル・フルトクヴィストは辞任しなかったために、野党側が反発を示しましたが、世論は彼の在任を望んでいるようです。


 代わりに就任したのは、現法務大臣モルガン・ヨーワンソンが内務大臣を兼任することになり、仕事量が増えるということで、彼が担当していた移民関係のものを移民大臣を置くことにして、ヘレーネ・フリッツソンが就任。インフラ担当大臣には、トーマス・エネロートが就任しました。この内閣改造では、保険・社会問題大臣には新たにアニカ・ストランドヘルが就任したのですが、理由は、前の医療保険スポーツ担当大臣、ガブリエル・ヴィークストロームが燃え尽き症候群のために病気休暇を取っており、辞任を表明したためとありました。

 
 野党側の発表からあわただしい動きをした内閣は翌日の10時に記者会見をすると発表しました。どんな発表が出されるのか憶測がかなり流れ、様々なシナリオが描かれていましたが、結局、スウェーデン政府が取った結論は、できる限り政治的混乱を避けるというスウェーデン伝統のもので、その結論は、多くの人々の称賛をうけました。日本のイメージといっても、10年以上住んでいない私が持っているイメージですが、こういった場合の流れでは、内閣総辞職で解散とか想像していましたが、知人たちとの話ではおそらくあり得ないと。歴史的にもない話だそうで、ヨーロッパの北の小国は、政治がいかに動くかによって国民に与える影響を考えると、できるかぎり、政治的混乱をさける報告に動くのでしょう。現在のように、与党、野党ともに過半数議席を取得していないと、国を動かす政治的責任が様々な方向におよび、簡単にはいかないというのも理解できました。それでも、理解しにくいところも多いのですが、この国にはこの国のやり方があるのだろうと思います。

 
 この内閣改造発表により、多少落ち着いたかのように見えるこのスキャンダル。今後、詳しい調査結果などが発表されてくると思うので、防衛大臣に対する不信任とともに、目を離せないなあと感じています。日本では、稲田防衛大臣が辞任し、民進党の蓮舫代表が辞任をしました。久しぶりに、両国の政治についていろいろと考えさせられた1日でした。


2017年7月26日水曜日

自分の立ち位置を思い出す

 日本から戻り、ちょっと天気が崩れているためか、「もう秋なのか」と着る服を悩む毎日です。外国に住んでいると、日本に戻ったら「これを食べよう」とかいう感じで、食べたいものがあります。私は、帰ったら必ず「みたらし団子」を食べます。昔からの大好物なのです。実家の母やお義姉さん、妹たちからも何か食べたいものがないかとよく聞かれたのですが、あんまりパッと思い浮かばない。人が食べているものを見ては、ああ、ああいうの食べたかったとか思うくらいで、この年になると、人に作ってもらって、上げ膳据え膳で食べられるものは、なんでもありがたく、おいしいと思ってしまいます。

 
 人それぞれだと思うのですが、私はあまり日本に長く、定期的に帰国する習慣がありません。子どもがいる方などは、長期の休みを利用して、親と孫が一緒にすごせるようにということで帰られる方が多いのですが、そんな必要のない私は、なんとなく、帰国せず。経済的な理由というわけでもなく、時間的な理由というわけでもなく、ただ、なんとなく。。。元来の怠け者で、だらだらとごろごろという言葉をこよなく愛しているためでしょうか。。。ということで、今回のように1か月も帰国するなんて驚きで、誰が出した案かといえば、うちの主人がだしたもので、まあ、そうするかと重い腰を上げたのです。

 
 結果、帰ってよかったなあと思います。その中でも印象的だったのが、滞在半分を過ぎたころから、「帰ったら、あれ食べよう」とか思い出したこと。こんなに食のおいしい国にいるのに、なんでだろうねーと思ったくらいです。特に食べたかったものは、ヨーグルトとチーズ。チーズなんか、普段そんなに好んで食べないのにね。不思議です。

 もう一つ、印象的だったのが、自分の立ち位置を思い出したこと。今回は一人で1か月ということで、友人や知人に多く会うことができたし、家族と過ごす時間も多く持てました。でも、私は昔から、人気者ではないけれど、嫌われ者でもない感じで、自分の中でも「来るもの拒まず、去る者追わず」みたいなスタンスで人付き合いをしてきました。でも、スウェーデンにきて、友達を一から作ることになり、職場ではスウェーデン人の同僚とそれなりに付き合うようになり、無理をすることも多々ありました。なので、今回の帰国で、友人たちと会い、自分ってこんな立ち位置にいたっけーと思い出しました。それがとても新鮮で。


 外国人と結婚することや外国で仕事をすることは、もう珍しくもない時代で、自分が特に変わっているとは思わないのですが、こういうことに今頃気が付く私は、ちょっと鈍いのだろうと感じました。鈍いから、図太くやってこれたのかもと思うのですが。。。

2017年7月24日月曜日

日本の放課後等デイサービス見学

 今回の日本への帰省中に何をするか、スウェーデン人の同僚たちに話すと「ああ、仕事しに行くのね。」と言われいたくらい、いろんな学校などを見に行きました。せっかくなので、見たものをまとめていこうと思います。振り返ると、いろいろ思い出して、また、勉強になります。

 まず、訪れたのが、「放課後等デイサービス」ということを行っているところです。私が日本で働いていたころには、こんなところはありませんでした。もちろん、数十年前ですが。。。

 放課後等デイサービスは、スウェーデンでいうところの学童保育に似ており、もらったパンフレットには、

「放課後等デイサービスは、障がいのある、主に6歳から18歳の就学児童、生徒(小学生、中学生、高校生)が、学校の授業終了後や長期休暇中に通う施設」

とあります。スウェーデンの場合、学童保育は障がいの有無にかかわらず、12歳まで(オープンな学童保育は13歳まで)、その後は、障がいがある生徒の場合はLSSという法律のものとにサービスが展開されます。うちの学校で放課後行われているような感じのものかと、勝手に想像していました。こういった放デイと呼ばれるものが増えているようで、特別支援学校をいくつか見学に行きましたが、そこにも、放課後デイの方が迎えにきていたり、話題にあがったりしていました。


 放課後デイの利用には、市町村が発行する「障害児通所受給者証」というものが必要だそうです。今回の日本で訪問で、私の理解が追い付かなかったのが、こういった、受給者証、障がい者手帳といった様々な証明や手帳についてです。なんと、複雑なシステム!と思ったのは、私だけでしょうが、わかりにくいです。地元岐阜県、愛知県、東京都、広島県といろんなところを回ったこともあり、名称が微妙に違うことも、理解を難しくさせました。話がずれましたが、こういった放課後デイでは、問題や難しさを抱えた親と子どもが相談をすることができ、その後、わかりにくい手続きもサポートしてくれて、サービスの開始となるようです。

 利用料が発生しますが、世帯年収に応じた金額になるようで、他の多くの障がいがある方への福祉サービスが1割負担だったので、おそらく1割負担かなと想像しています。また、利用回数に関する制限についても、私が理解した限りでは制限がないようでした。この辺りがスウェーデンとは違うかなと。スウェーデンの場合、学童は親が無職であったり、育児休暇中だと制限がかかりますし、それは障がいがある子どもでも同様です。もっと突っ込んで聞きたかったです。あくまでも税金で運営されているものですので、スウェーデンのほうがシビアな印象を受けました。

 聞くところによると、2012年4月1日に児童福祉法が改正され、報酬単価が倍になったことを機に民間企業が参入し、このような放デイが増えたようです。私の実家がある田舎にも数多くできており、それぞれの放デイが特色を出しています。生き残るためには、それなりに大変なようで、閉鎖されていくところもあるようです。


  私が見に行ったところは、オープンを控えたところで、新しくてきれいでしたが、広めの部屋1部屋の横に小さめの学習室がついており、外で遊ぶ環境はありませんでした。スウェーデンのイメージで、いくつかの部屋で個々の必要に応じて時には分けて、外で遊んで、というようなイメージがあった私には、この環境はどうなんだろうかと思ってしまいました。多くの学童がこんな感じだとは聞いていたのですが、放課後数時間の時はまだいいのですが、夏休みのように1日過ごすときは、大変なのではないかとおもってしまいました。事故やけんかが増えそうなイメージを持ったのは私だけでしょうか。実際にどんな風に子どもたちが過ごすのかも、見てみたいなあと思いました。

 
 学童はもちろんですが、このような放課後デイが普及することにより、障がいがある子どもがいても、親が安心して働ける環境が整い始めたことは、とても良いことであると思いました。


2017年7月22日土曜日

充実した日本滞在を終えて

 長いと思っていた日本での滞在を終え、数日前にスウェーデンに戻ってきました。予定では、ブログを更新する余裕があるくらいのつもりだったのですが、思った以上に予定が入り、更新するどころではありませんでした。甥っ子には、「そんなに出歩いて、疲れないの?」と言われ、姪っ子には、「あれ、もう帰ったの?」とか言われるくらい、いろんなところに行って、充実した毎日を過ごせました。


 日本に着いた頃は、まだそれほど暑くなく、久しぶりの日本の夏に耐えられるかなと思っていた私も、「これくらいなら大丈夫」と思っていましたが、7月に入ると暑い日が続くようになりました。友人の子どもたちと原宿に行ったときは、さすがに暑さと人の多さにやられるかと思いましたが、何とか乗り切り、久しぶりの日本の夏は、こんな感じだったかなと思い、毎日楽しく過ごすことができました。


 会いたかった、兄や妹の家族にも会い、一緒に過ごす時間を持つことができました。いろんな話をして、笑って、とても楽しかったです。母と一緒に過ごす時間も多く持つことができ、家族というのは何歳になってもいいなあと心から思います。甥っ子、姪っ子が成長していく姿を見ることは、この上ない喜びであり、来るたびに心を和ませてくれます。

 

 日本での滞在中には、本当にたくさんの方にお世話になりました。日本の特別支援教育や障がい者福祉の勉強をしたいという私の不躾なお願いに、快く答えてくださった方が本当にたくさんいて、うれしかったです。お時間を割いてくださった皆様、本当にありがとうございました。学んだことを今後に生かしていきたいと思います。日本を離れて15年以上たち、やはり日本の状況は大きく変わっていると実感しました。そんなカルチャーショックも含めて、紹介していけたらと思います。


2017年6月17日土曜日

スウェーデンといえば、これです

 木曜日に終了式があり、今年度が終わりました。生徒たちは夏休みに入り、私も昨日はのんびり会議の日で、月曜日に一つ会議を終えたら、夏季休暇に入ります。今年度は、今まで働いてきた中で、最もカオスな年だったように思います。私は、2月に同僚を失ってから、なんとか走り続けて今学期を終わらせたけど、最後のほうは、息切れ状態でした。それでも、何年か前のように、スウェーデンで働くのはいやだーというような感情よりは、まだまだ学ぶことがたくさんあると思いながら、今年度を終えれたので、よしとしましょう。

 スウェーデンといえば、これですって、何がって、感じですが、スウェーデンを知る人ならば知っていると思われる、組織替え。スウェーデンでは、システム変更、よくあります。うちのコミューン、学校もしかり。。。私は今の学校9年働いていますが、働き始めたときは、特別支援学校は一つの組織でした。数年たって、小学校と一緒の組織にされて、この秋から、また、特別支援学校だけの組織に戻されます。上が変わればとかそういうものでもなく、ほんとによくある、この組織替え。振り回される現場は大変です。😓この組織替えに伴い、校長選択なども滞り、どうなることかと思いましたが、何とか新しい校長先生が決まりました。そして、バタバタする中で、やっと小中学部の移転先も見つかりました。この一連の状況を見ていて、こうなるんだなーと、妙に感心してしまった私です。

 
 それでも、昨年のようにバタバタいろいろ動き回るのではなく、それぞれの立場の人がそれぞれの仕事をするべきであるという姿勢でのぞむと、動かないところもあるけれど、何とかなるから不思議です。職員の愚痴も増えるし、不満も増えるけれど、それぞれが何とかしようと努力し始める感じです。それなりにうまく回っている時とは違い、誰から見ても、どうにもならないくらいカオスだと、不満がお互いに向かないというのもあるかとも。

 今回の組織変更がどうなっていくのか、今後が興味深いです。新しい校長先生も楽しみだし。長らく、私を支えてきてくれた副校長が定年退職を迎えたことは大変感慨深く、泣けてきました。一緒に行った日本の姉妹校訪問を思い出します。人生とは移りゆくものであると感じた1年でした。

 
 今年の夏の休暇は、結婚して初めて、一人で1か月日本に帰ります。落ち込んでいた私に、主人がくれた心の休暇なのだろうと思います。日本では久しぶりに友人たちと旅行をしたり、家族と一緒に過ごしたりするとともに、せっかくなので、(ここに私の性格が表れる)特別支援学校などを訪問をし、今一度日本の教育を勉強してこようと思っています。ここでもそんな様子を報告できればと思います。


 

2017年5月13日土曜日

スウェーデンの学校の校長先生事情

 スウェーデンの学校システムの中でも、最も重要な問題の一つではないかと思うのが、校長先生不足です。うちの学校も御多分に洩れず、数年前(多分2年前くらい)に校長がやめてから、代わりの校長先生が来て、新しい校長先生が雇われたけど、その校長が半年くらいでやめてしまったので、また、代わりの校長先生が来て、その代わりの校長先生もやめて、代わりの代わりの校長先生が来ました。この代わりの校長先生というのは、あくまでも代わりなので、民営の人材派遣会社からやって来て、本採用が決まるまで、期限付きで雇われます。現在、新年度から本採用で働いてくれる校長先生を募集していますが、どうなることか。。。

 代わりの校長先生は、大抵、定年退職した校長先生で、65歳から70歳くらいの人が多く、その需要はものすごいものがあると今の校長先生が話していました。スウェーデンもその昔は、日本の学校と同じように、都道府県単位?のような感じで雇われ、やめることがあれば、代わりがちゃんと来たそうです。しかし、現在はそんなことはないので、教員もですが、学校が次の人を見つけることになります。

 次の人を選ぶのも、実はたいへん。募集をかけるのですが、関係組合が関わり、その条件などを詰めていき、募集の文面などを考えます。その後一定期間募集をかけ、候補者が出たら、その中から、上が何人か選びます。その後、管理側の面接、職員側の面接、組合の面接、生徒の面接と、様々な面接が行われ、その後、話し合いが行われ、決まります。

 プロセスが長い。。。こんなにかけてやっても、半年とかでやめられたら、たまったもんじゃなく、また一からやり直し。今回の募集に関しては、みんなやる気半減している感が否めず。。。


 学校に校長先生が不在というのは、会社に社長がいないのと同じ感じで、とにかく話がまとまらない。学校の教育の発展とか、ないない。。。ありえない。。。1日を動かすのに精一杯。子どもたちのことを考えたら、このシステム、少し考えた方が。。。ここ数年教員のお給料が上がっており、校長先生になってもあまりお給料があがらないというのも原因の一つのようです。なり手がいないので、とりあえず選べば、またすぐやめていくという悪循環。前に研修であった他の学校の先生に聞いたら、そこは3年で7回変わったって。それよりは、まだマシかと思ったのですが、なんとか、校長先生決まるといいです。


2017年5月1日月曜日

スウェーデンの就学前学校カリキュラムの改訂

 春学期はお休みがたくさんあって嬉しいなあと思う、メーデーの祝日の今日。天気も良くて、のんびりできました。最近、スウェーデンの教育情報をあまり載せていない、このブログ。ということで、少し、最新情報を。

 スウェーデンの就学前学校のカリキュラムが改訂されることになりました。スウェーデンの就学前学校のカリキュラムが最初に出されたのは、1998年のこと。それまでは、厚生労働省に当たるような政府機関が管轄していたのですが、カリキュラムが出された1998年に文部科学省に当たる政府機関に管轄が移されました。あれから、もうすぐ20年ということで、そろそろ見直しが必要だろうということだそうです。2011年に義務教育の他の学校のカリキュラムが大幅に見直されましたが、就学前学校は2016年に少し改訂があったのみだったので、時期的には、そろそろ見直されてもよい頃かもしれません。これから、現場の意見も取り入れながら、改訂を進め、2018年3月23日までに行うとのことです。

 改訂の主な点は次の通り。

教育と授業の違いを明確にする
保育的ケアが就学前学校の中心的な部分となりますが、改訂されるカリキュラムでは、その定義をより明確にするそうで、教育的な内容、授業のようなものの定義、誰が行うかなどもより一層明確にしていくそうです。と言っても、「遊び」が最も重要な部分であることには変わりはないとのこと。子どもにとって、遊びは学びの基礎であ理、この部分には変更はないが、それでも、学びの部分の定義を明確にし、今まで以上に教育的な色合いが出てくるのではないかと想像されます。

ITを活用した教育
以前より課題となっているITを活用した教育をどのように就学前学校で行なっていくかが取り入れられるようです。


上記の2点が今のところ、発表されている主な変更点のようです。今後、どのようにカリキュラムが見直されていくのか興味深いところです。






2017年4月23日日曜日

夏の計画

 日本週間が終わり、イースター休暇も終わるという頃になって慌てたのが、日本行きをどうするかでした。本当は、主人と主人の親友を一緒に日本に行くことになっていたのですが、人生いろいろあるのが常なので、結局、予定は変更され、なんと私だけ、1ヶ月も日本に帰ることになりました。1ヶ月も日本に帰るのは、ものすごく久しぶりです。結婚してからは最長3週間だったので、しかも、1回3週間帰ったら、主人がこれからは2週間でいいと言ったので、その後は常に2週間。一人で1ヶ月って、何すればいいんだろうかと思ったくらいです。

 とりあえず、バタバタしながらも飛行機のチケットを買いました。そこで、まず、大満足。これで終わってはいけないと、思いついた人々に帰国しますよメールを送りつけ、なんと、嬉しいことにみなさん返事をくださる。。。ありがとうございます。せっかく1ヶ月も帰るので、日本を離れて長く、もう現状がわからない日本の特別支援教育の勉強ができないものかと考え、ツイッターやフェイスブックで情報収集、恩師や、同級生にもメールでアドバイスをお願いし、現在計画を立て中です。

 
 私はどちらかというと日本の夏よりもスウェーデンの夏が好きで、家でダラダラ過ごすのが一番と思っているのですが、今年は日本にそろそろ帰らないとと思っていました。理由は、自分の日本人としてのアイデンティティの確認が必要かと思ったから。スウェーデンで長く暮らし、職場がスウェーデン人だらけで、その社会に染まっていると、大抵のことはうまく流れるし、いいのだけど、今年はいろいろあって、自分が周りのスウェーデン人とはちょっと違うとかなり自覚し、(当然なのだけど、でも日々忙しいと気がつかない。)自分のルーツに帰りたいと思った次第です。特別支援教育に関しても、日本人といえば、日本のことを聞かれるし、比較してとか質問されますが、日本を離れて15年も経つと浦島太郎で全くわからない。。。


 例えばだけど、未だに慣れないスウェーデン文化が、あのイースターとかちょっと長い休み明けに繰り返される「挨拶のセレモニー」。

休み明け、同僚たちと、ハグをし、
「休みどうだった?」
「楽しかった」
「元気?」
「元気よ」

この一連のセレモニーを何人とも繰り返します。疲れる。。。私はこの人という人ならいいけど、同僚たちと挨拶が延々と繰り返されるのは苦痛。

 挨拶といえば、「元気か、体調どう」という、英語の「How are you?」と同様の表現がありますが、これも正直に答えてはいけない。知らなかった頃は、疲れていれば、疲れているとか答えていたのだけど、返される反応がイマイチなことがあり、主人に話すと、それは挨拶だから、全て「元気よ」で返すのだと教えられ、疲れているとか答えたら、自分は相手よりも大変な仕事をしており、重要な人物だという印象を与えるとかでよくないと。それからは、こんな挨拶どうでもよくなり、おきまりの文句を答え、天気と犬の話をしたらおしまいに。でも、なんか薄っぺらいよねー。と自分で思ってみたり。

 と、だいぶ減ってはいますが、常に文化の違いを感じて暮らしているので、久しぶりに日本に帰るのは楽しみです。家族や友人に会うのもすごく楽しみです。そして、私は日本でも逆カルチャーショックを受けてくるんだろうと思うのです。

2017年4月10日月曜日

スウェーデンの学校教育の歴史に触れる展示

 スウェーデンの学校教育に興味がある方にオススメの展示が、ストックホルムのミュージアム島、ユールゴーデンにある、Prins Eugens Waldemarsudde museumで行われています。先日、日本週間に参加してくださった方と一緒に見に行くことができました。思っていた以上に見応えのある展示で、とても楽しかったのです。残念ながら、展示は、ほぼスウェーデン語でしたので、多少なりともスウェーデン語がわかった方が、楽しいかなと思います。
 「En sagolik skola - Folkskolan 175 år (素晴らしい学校ー国民学校175年」と名付けられた展示は、今年、スウェーデンのすべての子どもが無料で学校に通うことが決まり、国民学校が創設されてから175年たったことを記念して、教員組合(Lärarförbundetの方)と先生の財団が協力して開催しているものです。ストックホルムを皮切りにスウェーデン全土で今後、順番に展示が巡回して行くことになっています。ストックホルムは、5月21日までの開催で、その後、カルマル、クリスティアンスタード、マルメ、ウーメオー、ファールン、カールスタッド、エステルスンドと2019年8月まで開催されます。
 Prins Eugens Waldemarsudde美術館は、ストックホルムにある美術館の中でも、最も美しい美術館のうちの一つに挙げられる美術館で建物を見るだけでも楽しいです。今回もテーマ展示が複数行われおり、学校教育の展示は、本館の2階にありました。映像でスウェーデンの教育の歴史を振り返った後に展示を見て行きました。展示会場は、たいへん多くの人々で賑わっており、おそらく先生をしているか、学校教育に関わっている人、関わって来た人が多いなという印象を受けました。

175年前に国民学校が始まった頃の様子がまとめられていました。当時は教会と深く結びつきがあり、教科書には聖書も使われていたとあります。体罰が行われていたことを示す展示もありました。教師の数が足らず、午前と午後に分かれていたり、上級生が下級生の面倒を見るグループなどがあった時代もあったとありました。

砂のノート。砂に字を書いて練習し、消しては使いました。順番に、スウェーデンの学校教育がどのように民主主義の道を辿って来たか、学校教育の歴史、教師や子どもたちの当時の様子などが展示されていました。
 

重要な教育者として、もちろん、エレン・ケイについてもありました。教室の中の様子も再現してありました。今回の展示のユニークなところは、本、物語がその中心となっているところです。スウェーデンの有名な画家や作家が学校教育にいかに関わって来たかが展示してあります。今のようにインターネットで映像や写真を簡単に見せることができなかった時代には、挿絵や展示用の絵は、子供たちの興味を誘い、理解を深める上で重要な役割をしていました。スウェーデンの有名な画家、カール・ラーションやエリザ・ベスコフも教科書の挿絵を描いた画家の一人です。

「ニルスの不思議な旅」を書いて、ノーベル文学賞を受賞した、セルマ・ラーゲローブについてももちろんありました。彼女はもともと教師で、子供たちにスウェーデンの地理を興味深く学ばせる教材を作って欲しいという声に答えて、「ニルスの不思議な旅」を書きました。物語を書くのは大変だったようで、そのことも書かれていました。

歴代の教科書なども展示されています。

スウェーデンの教育に興味のある方や、カールラーションなどの絵画に興味のある方にオススメの展示です。お時間許せば、ぜひ、足を運んで見て下さい。

最後におまけで、一緒に行った方と笑った絵を。
「おっちょこちょいなりさちゃん」と「しっかり者のロッタちゃん」
笑えました。


Prins Eugens Waldemarsudde (プリンス エウフェーン ヴァルデマルスウッデ)美術館
住所:Prins Eugens väg 6, Djurgården, Stockholm
アクセス方法:トラム7番、Waldemarsudde駅下車、徒歩5分ほど
開館時間:火曜ー日曜 11時から17時、木曜日は20時まで、月曜閉館
イースターの間は時間が変則なのでホームページで確認を。


2017年4月9日日曜日

感慨深かった日本週間

 テロのショックが消えないストックホルムです。今日は、「愛のマニフェスト」の名前で追悼集会がセルゲル広場で行われました。昨日、今日とテレビではテロに関する番組が継続して放送されており、事の大きさを感じます。

 今日は、今回が最後のとなった日本週間について書こうと思います。今回も大勢の方がボランティアにも関わらず、参加してくださりました。日本から2名の方、フィンランドから1名、スウェーデン国内から4名の方が参加してくださいました。参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。また、参加を予定していたけれど、都合により参加されることがなかった方も、参加しようと連絡をくださり、ありがとうございました。お会いすることはできませんでしたが、その気持ちだけで、とても嬉しかったです。

 今回もなんだかんだと内容が増え、結局1週間行うことになりました。日本週間の幕開けは、日本太鼓の演奏会とワークショップでした。演奏者の方が、もう少し席を離した方がいいと言われた意味がよくわかった演奏会で、とても大きな太鼓の音の迫力に生徒も職員も魅了されました。ワークショップは、みんな楽しそうに太鼓を叩いていました。アフリカの太鼓と比べて、叩き方に多少問題があっても強い日本太鼓は、うちの生徒たちにはよかったようで、職員も安心して、生徒たちに試させることができました。こうした機会はなかなかないので、本当にみんな喜んでいました。

 いつもの人気コーナー、簡単な茶道とお菓子。このコーナーは、いつもみんな大好きです。何度食べても興味深い日本のお菓子にみんな大喜びでした。お抹茶と煎茶を飲み、お菓子を食べた後は、折り紙。最後に紙飛行機大会をするので、紙飛行機をまず作りました。その後、イースターをテーマに折り紙をおりました。


日本の姉妹校から送られてきた十二支の紙粘土の作品。これは面白いと、十二支の始まりの物語を映像化し、生徒たちにもわかりやすくしました。十二支のお話の映像を見た後は、早速、自分は何年かを調べました。「僕は辰年じゃないと嫌だ」という生徒もいたりして大笑い。十二支の特徴もまとめておいたので、職員も自分の干支を知って、興味津々でした。自分の干支を知ったら、それを額にする図工をしました。


習字のコーナーも十二支のテーマで行いました。自分の干支を習字で書きました。


日本の姉妹校から送られてきた紙相撲は、毎年恒例のコーナー。何度も行なっているので、みんなよくわかっていて、楽しめる遊びです。


今年は、2名の学生さんが日本の歌のコーナーを受け持ってくれ、姉妹校から送られてきた「鯉のぼり」と「どんぐりころころ」を含む、5曲を披露してくれました。前日の夜に即興で大正琴を練習してくれて、連弾で弾いてくれたのには驚きました。とても美しい歌声でした。


姉妹校から送られてきた節分の鬼のお面を紹介したいと思い、節分についての説明の映像を作りました。その映像を見て勉強した後は、でんでん太鼓を作りました。簡単に音が出て遊べるデンデン太鼓にみんな楽しそうでした。

日本の曲を聴いて、絵を描くコーナーも毎回行なっています。曲を聴きながら、色を選び、絵を描く活動は心を落ち着かせるのか、生徒たちも穏やかに行います。

昨年に引き続き、ヨーヨー釣りも行いました。日本から来た方が持って来てくださったのですが、釣るという遊びこごろも楽しいようで、みんな楽しそうにヨーヨーを釣っていました。

 最後は、紙飛行機大会。順番に紙飛行機を投げて、誰のどの飛行機が一番遠くまで飛ばせたか、一目でわかりやすく、うちの生徒も楽しめました。

こんな感じで終わった日本週間。毎日忙しかったですが、その割には穏やかに時間が流れたように思いました。7回行なった日本週間も最後となるとやはり感慨深いものです。姉妹校のプロジェクトを通して、本当にたくさんの経験をさせてもらい、多くの思い出ができました。参加してくださった多くの方、本当にありがとうございました。日本から荷物を送ってくださった方々、本当にありがとうございました。

2017年4月8日土曜日

ショックとともに始まったイースター休暇

 待ちに待ったイースター休暇が、大きな悲しみとショックとともに始まりました。昨日は、他の同僚よりも少し早く12時には仕事を終えて帰宅していたのですが、帰宅した後も保護者に送るメールの準備をしたりと細々と仕事をしておりました。そんな穏やかな午後を一転させたストックホルムのテロ事件。


 昨日午後14時53分に事件発生の通報があり、ストックホルム随一の歩行者天国、Drottningsgatan (女王様の通り)を奪い取られた一台のトラックが走り抜け、大手デパートÅhlens cityに突っ込み、停車したところで逃げ去りました。15時過ぎにはテレビでニュースで報道されてはじめ、それから、ずっと、このテロの報道がされています。現在のところ、4名の方がなくなり、15名の方が重軽傷を負いました。この歳になると、自分も家族や知り合いを何人か無くしており、その時の驚きと悲しみ、語れない感情を経験しております。そんな思いを抱えた人々が、今日このスウェーデン、ストックホルムに多く存在することに大変心が痛みます。こういった事件が起きたり、身近な人が亡くなったりすると思うのが、日常のありがたさです。普通に生活できることほどありがたいものはないのではないかと思います。

 スウェーデンには、スウェーデンを象徴する3つの言葉があります。
「Rättvisa(公正), Jämlikhet(平等), Solidaritet(連帯)」
これらの言葉は、スウェーデン社会民主労働党の社会福祉政策に関連して根付いたもので、実査に生活していると、スウェーデン人たちの考え方にいかに関係しているかを感じます。今回のテロに関しても、Solidaritet(連帯)という言葉をよく聞きますが、これは私が外国人だからでしょうか。オープンな社会であり続けることや連帯感など、スウェーデンの表向きの意見とも取れるところが強調されるのですが、このテロ事件が、今後の政治や近く選挙にいかなる影響を及ぼすのかが気になります。


 今回の警察や報道の対応は、素早く、とても素晴らしいものであったと報道されています。これが、今まで起きたヨーロッパでのテロ事件での経験を元にしたものであることは言うまでもなく、実際に起きたテロ事件に対して、警察、政府、病院など細部に渡って、冷静に対処できると言うのは、世界の情勢がより一層悪くなってきている証拠のように感じました。ストックホルムの多くの学校は、来週がイースター休暇で、みんな楽しみにして帰宅の途についた金曜日でした。そんな楽しみを一瞬にして消し去ったこのテロ事件、事件に巻き込まれた方のご冥福をお祈りするともに、心や体に傷を負った人々の1日も早い回復をお祈りします。


 最後に、日本週間に参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。今年も無事に終えることができ、これも参加してくださった皆さんのご協力があってのものであると思います。ありがとうございました。





2017年2月25日土曜日

スポーツ休暇

 今日から、スポーツ休暇です。😀 前回の更新からだいぶ経ち、あっという間に2月も終わろうとしています。先ほど、日本週間に参加してくださる方には、詳細をお送りしましたので、届いていないという方がいらしたら、ご連絡ください。

 スポーツ休暇とは、スウェーデン全土で地域ごとに秋をずらして取ることになっている学校のお休みで、文字通り、冬のスポーツを楽しむための休暇になります。ストックホルムは毎年第9週がスポーツ休暇。春学期はお休み多いので、あっという間に終わってしまいます。スポーツ休暇までが一つ目の山で、次はイースター。そして夏休みって感じです。

 日本でも子供の貧困が問題になっていると聞きます。こちらでも同じ問題がありまして、スポーツ休暇といっても、どの子もスキーなどのウィンタースポーツをしに出かけるというわけではありません。クリスマスにお金を使ってしまうため、1年で最も貧しいと言われる1月が過ぎ、2月にあるこの休み。それなりに家庭に余裕がない限りは、自宅で過ごす、どこにも出かけないという家庭も多くあります。暖かい国に太陽求めて出かける家族もありますが。同僚たちによれば、(おしゃべりなおばさんたちがたくさんいるので、いつも色々教えてくれます。)その昔は、湖に氷が張ったり、水を撒いてスケートリンクを作ったりして、子供達はスケートをしたり、クロスカントリースキーをしたりしたらしいが、最近はあまりしないそうで、自分の子供にスケートやスキーを買い与えていないという人も多くいます。ストックホルムあたりだと雪の量がここ数年少なく、クロスカントリーは難しいし、スケートも氷が心配であまりさせられない、すぐに大きくなるのに、結構高い道具を揃えられないと。片親の家庭であったりすると、特に難しいのは想像にかたくありません。

 私の学校も雪が降ったら、ソリで遊ぼうと計画していましたが、今年は雪が少なく、やっと降ったと思ったら、スポーツ休暇なので、おそらくそりは今年はなしかな。。。

 
 わたしは、友人に会おうと計画を立て始めたのですが、愛犬、椎間板ヘルニアになり、絶対安静ということで、家でじっと犬としています。ブログの更新が何回かできればいいかな。皆さんも、良い週末を!



 
 

2017年1月21日土曜日

生徒アシスタントと先生アシスタント

 愛犬ヨッシーがぎっくり腰になり、驚きの週末です。フレンチブルドックには、よくあることらしいけど、突然泣き叫ぶお犬様にオロオロするばかりです。痛めどめを飲んで、食欲も戻り、あとは無理をしなければ良くなるはずなので、それを願うばかりです。

 ツイッターを覗いていると、スウェーデン、ついに1000万人に人口がなったようです。おめでとう、スウェーデン!そして、アメリカでは、トランプ大統領誕生しましたね。大統領の就任演説、ここまでしっかり聞いたの、初めてかも。。。アメリカの情勢にイギリスのEU脱退、世界情勢の不安定とグローバル化の歪みは、将来の不安を通り越してして、理解の範疇に無くなりつつあります。。。


 今年は日本週間できないのではと、知人に聞かれるくらいゴタゴタしている学校ですが、今年も日本週間します!まだまだ、ボランティア募集していますので、興味のある方は、ぜひ!詳細はこちらを。


 先日まで、冬休み中に書けなかった大学院の課題をこなしていました。母たちが来る前に仕上げようと思っていたのに、検査局の書類が舞い込み、ほぼ書き上げた!という時に、コミューンの担当者からさらなる質問が。。。そんなこんなで予定以上に時間がかかりました。今回の課題は、権力のプロセスと配分について。私は、自分の職場の中から、Elevassistent(生徒アシスタント)として働く人たちの権力プロセスと人生の選択について書きました。生徒アシスタントは、このブログでも何度か取り上げているけど、うちの学校では、私のような教員に生徒アシスタントが数名ついて、生徒の教育に当たっています。私には、現在4名のアシスタントがいて、その方達と一緒に日々の教育に当たっています。特別支援学校の場合、この生徒アシスタントが最もグループとしては大きくなります。

 生徒アシスタントになる人たちの多くは、女性です。フルタイムでも働けますが、学校のある時間に合わせて75%との場合も多く、労働時間も8時くらいから16時くらいと子供がいても働きやすい時間になっていることもあり、女性が大半を占めています。年齢層はばらつきがありますが、小学校などのアシスタントは若い人が多く、特別支援学校では、年齢が上がって来るように思います。学歴で見ると、高卒の方が多く、保育士さんや准看護師のような介護士系の資格をもった人もいます。大卒の人は少ないですが、幼稚園教諭などで少数ですがいます。

 生徒アシスタントの仕事は、明確な記述はどこにもなく、校長権限で採用が可能であり、校長がその学校に必要だと思う内容の仕事をすることになります。この不明確さが、低賃金、低地位の要因の一つであるように思います。不明確であればあるほど、キャリアを積むことも難しく、研修などの申請も難しくなります。生徒アシスタントは、教員との間にも力の差があり、そういった面から彼らの仕事をみていくことも重要であると思います。特別支援学校の生徒アシスタントは、教員が行う内容の仕事もかなり行うことになるので、(理由は1対1で行う授業を行う場合が多くあり、先生が自分で行うことは時間的に不可能であるし、日常の中に授業課題をちりばめてあるので、どうしてもアシスタントも教員と同じような知識が必要なって来るため。他の学校形態では、異なって来ます。)生徒アシスタントの地位を確立していくことは、生徒たちの能力を伸ばす上でも重要になって来ます。お給料が安く、すぐにアシスタントが辞めてしまうという事態は、子供にとってもよくないのです。


 そんな内容をいろんなセオリーを使って書いていくのですが、大変でした。なんとか合格もらえるといいけど。生徒アシスタントに加えて、ここ数年注目を浴びているのが先生のアシスタント。特別支援学校よりも小中学校などで取り入れられ始めている職業で、その名の通り、先生が行う内容をアシストします。出席確認をしたり、休み時間の監督に出たり、遠足の準備や引率、コピー取りなど、事務員をするような感じでしょうか。特に資格は必要ではないと思うのですが、(まだ資格もできていない新しい職業だし)子供が好きなことと柔軟性は強く求められる仕事であると思います。こうしたアシスタントといかに上手く付き合いながら、仕事を行うかは、きっとどの仕事についても同じなんだろうなあと思います。



2017年1月10日火曜日

2017年春学期開始

 あけましておめでとうございます。あっという間に年が明けて10日になろうとしています。仕事は昨日からで、初日は研修だったので、またまた、研修係としてなんとか乗り切ることができて、良いスタートを切ることができました。私が慌てたり、バタバタすると、みんなもバタバタするようなので、できる限り、どーんと構え、同僚たちと冬休みに何をしたかを話したりして、楽しかったです。研修も好評でよかった。生徒たちは明日からの登校なので、準備時間が少しあり、今年は楽です。

 冬の休暇を振り返ると、休みに入ったことはいいのですが、直前に学校検査局からメールが来て、資料を出すことになり、その資料作成に追われました。クリスマスでしたが、なんとか、母と甥っ子姪っ子が来る前に仕上げておこうと頑張りました。が、このため、大学の課題が仕上がらず。。。先生に提出を伸ばしてもらって、これから書き上げる予定ですが、ちょっと辛い。。。

 
 年末年始は、日本から甥っ子と姪っ子、母が来ていたので、北極圏までオーロラを見に行って来ました。クロスカントリーをやったり、ソリに乗ったりして昼間を過ごしました。私は怪我が怖くてやらなかったけど、子供達は、アルペンスキーの教室にも入り、冬を満喫しました。そして、母が見たかったオーロラは、3日目に見ることができました。ここまできて見れないのも寂しいので、見れて本当に良かったです。私たち、子どもがいない夫婦に子どもがいるってこんな感じかしらと思わせた2週間でしたが、あっという間に終わり、みんな帰ってしまい、ちょっと寂しいです。

 

 しかしながら、現実に引き戻され、日常が戻り、昨日の会議では、あれもこれもやらなくてはいけないことが頭に浮かび、そろそろ気を引き締めなければと思った次第です。今年は、と毎年書いていますが、週1のブログ更新を目指して頑張ります。今年もよろしくお願いします。