夜遅くから、藤田正裕さんの「99%ありがとう」を読み、人の運命とはと考えさせられ、泣けてきました。ALSやMSのような病気になると徐々にできていたことができなくなっていく悲しみは、想像を絶するものであると思いました。主人の親友に、徐々に視力を失うという難病に侵されている人がいて、彼や生徒のおかれている状況と類似点が多くあり、泣けて。。。
本の中に、「ヘルパー」という題の内容がありました。一部を書きます。
ベットに座らせるのに「失礼します、失礼します」と
40回ぐらい言いながら結局できなかった人には、
さすがにその場で帰ってもらった。
できるヘルパーはほかの患者が離さない。
本当のヘルパーが足りない。
ヘルパーの重要性を理解して、
給料や資格の難易度を
高める必要がある。
神経質でせっかちな自分には、
今まで自分の手や足や声でできたことを、
すべての他人にやってもらうのに慣れるは、想像以上に大変なことだ。
きっと、一生慣れないまま終わると思う。
人間は、そうやって生きるようにできていないからね。
(藤田正裕さんの「99%ありがとう」140頁より)
同じような内容の話を数日前にしたことを思い出しました。生徒の親と個人懇談をし、泣きながら、いろいろあった今学期を振り返り、泣かれてしまうと、こちらもたまらず、泣けます。そのときに、個人アシスタントの質について話をしたのですが、このヘルパーさんの記述に似ている。個人アシスタントといういい制度があるのですが、資格もいらなければ、学歴もいらないこの仕事は低賃金で、生徒によっては成人になった時に、個人アシスタントがついたほうがいいと思われる生徒もいますが、どんな人がつくかわからない、つねにアシスタントを探し続けなければいけないなど、多くの問題があり、結局、選択肢にならない場合があります。生徒の場合は、やってきたことができなくなっているわけではなく、最初からできないことが多いので、藤田さんとは状況が違うのですが、できたことができなくなっていく悲しみは老人福祉の分野でも読みます。ヘルパーさんやアシスタントの質の向上、賃金の向上、労働待遇の改善などは、今後の大きな課題であると思います。
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