投稿

9月, 2015の投稿を表示しています

難民問題とスウェーデンのカリキュラム

 白樺の木が黄色くなり始め、木の葉が舞い落ちるようになりました。私は、夏も好きですが、「楽しまなくてはいけない」というプレッシャーにかられる夏よりも、夏が無事に終わり、冬がやってくる感じがとても好きです。  ここ数週間、ヨーロッパの難民受け入れ問題が大きく報道されています。スウェーデンでも連日報道されており、見聞きしない日はありません。かなりの数の難民がここ数週間でスウェーデンにも登録されました。そんな中、ストックホルムに到着しても難民登録申請をしない難民が多くいるということに驚きました。スウェーデンを通過してそのままフィンランドやノルウェーに行く人も多いときき、それならいいのだけどとちょっと思いました。難民として登録してどこかの国から援助を受けてくれるといいのですが、そうでないと少し心配です。  複雑な難民問題はいまだに解決の方向が見えていませんが、スウェーデンでは、積極的に難民を受け入れるという姿勢が政府、国民から見られます。私が関わる人々は数が限られていますが、批判的な言葉は聞きません。うちのコミューンでは、このくらい受け入れるとか、準備が進んでいるということもききます。こういうスウェーデンの人々の姿勢には感心させられます。デンマークが難民受け入れに消極的なイメージがあり、それに対してデンマーク国民が行った「積極的に難民を受け入れよう」というデモに、デンマーク人に対するイメージが少し変わりました。お隣フィンランドでは、このタイミングで財政危機を乗り越えるために大きな改革が行われることになり、国民がストライキを行っているとかいう報道があり、そういう国ではどうやって難民受け入れるのかなとか思ってみたり。。。    先日、職員の休憩室で小学校の先生が嘆いていました。生徒が「難民なんかおいかえせばいい」といったらしい。7歳に子供がいうことなので、当然家で大人が言っているのを聞いたのだろうという話になりました。うちの学校では、子供権利週間がもうすぐあるので、今年のテーマは難民です。  そんなときにふと思い出したのが、スウェーデンのカリキュラムの一部分。小学校のカリキュラムの第1章「学校の理念と使命」の中に「理解と思いやり」という部分があります。その中に、 Det svenska samhällets internationalisering ...

スウェーデンの学校の宿題事情

 新学期が始まって2週間ほどたち、金曜日は学校総出で近くの島に遠足に行ってきました。雨が少し降りましたが、たいしたことはなく、楽しい1日になりました。夜は、姉妹校の先生が遊びにくるということで同僚たちと食事にと盛りだくさんです。  今日はスウェーデンの宿題論議について。夏前に新聞で宿題についての特集が組まれました。私は特別支援学校で働いているため、宿題に関しての議論に実際に参加することは少なく、併設する小学校の先生方の話を聞きながら頷く程度です。うちの小学校では、昨年だったかに宿題を学校で行う時間を設けたので、その時はかなり白熱していました。  宿題についてスウェーデンの法律などではどうなっているかを見ると、 宿題に関して記述した法律やルールなどはないが、学校法には、義務教育は土日や祝日に学校活動を行うことを禁止しています。また、授業日であっても1日8時間以内と定めています。(低学年は6時間まで) 「宿題」といってもいろんな形があり、定義はなく、いわゆる復習型と予習型に加えて、遅れを取り戻すためのものの3種類くらいが一般的。 昨年教育庁の方から宿題に関する指針が出された。  スウェーデンの宿題に関する議論で私がスウェーデンらしいなあと思うのは、宿題は「平等でない」という点。生徒の家庭環境は様々なので、宿題を手伝ってもらえる子供もいれば、全く手伝ってもらえない子供もおり、それが学校の成績に影響するのは不平等であるという点。これはその通りで、 宿題を自分でできる子供は、親も気にしないし、子供も気にしない。おそらく学校の勉強もついていけている 家庭で宿題を見てもらえる子供は二通りあり、やりたがらない子供に苦戦しているかしていないかで変わってくるが、それでも、見てくれる親がいるだけよくて、学校の勉強にもなんとかついていけているだろう。。。 そして、宿題を自分ですることができず、家庭でも見てもらえない子どもたち。この子たちが宿題によって受ける不平等は計り知れないだろうと思う。そんな宿題によって成績が左右されてしまう。。。 新聞のシリーズは何回かに渡ったのですが、その中でも研究者たちの言葉にあった、 「宿題の質と内容をしっかりと議論することが重要だ。」 という点。ありがちなのが、宿題を出さなければいけないような感じだから出すと...