ここ数週間、ヨーロッパの難民受け入れ問題が大きく報道されています。スウェーデンでも連日報道されており、見聞きしない日はありません。かなりの数の難民がここ数週間でスウェーデンにも登録されました。そんな中、ストックホルムに到着しても難民登録申請をしない難民が多くいるということに驚きました。スウェーデンを通過してそのままフィンランドやノルウェーに行く人も多いときき、それならいいのだけどとちょっと思いました。難民として登録してどこかの国から援助を受けてくれるといいのですが、そうでないと少し心配です。
複雑な難民問題はいまだに解決の方向が見えていませんが、スウェーデンでは、積極的に難民を受け入れるという姿勢が政府、国民から見られます。私が関わる人々は数が限られていますが、批判的な言葉は聞きません。うちのコミューンでは、このくらい受け入れるとか、準備が進んでいるということもききます。こういうスウェーデンの人々の姿勢には感心させられます。デンマークが難民受け入れに消極的なイメージがあり、それに対してデンマーク国民が行った「積極的に難民を受け入れよう」というデモに、デンマーク人に対するイメージが少し変わりました。お隣フィンランドでは、このタイミングで財政危機を乗り越えるために大きな改革が行われることになり、国民がストライキを行っているとかいう報道があり、そういう国ではどうやって難民受け入れるのかなとか思ってみたり。。。
先日、職員の休憩室で小学校の先生が嘆いていました。生徒が「難民なんかおいかえせばいい」といったらしい。7歳に子供がいうことなので、当然家で大人が言っているのを聞いたのだろうという話になりました。うちの学校では、子供権利週間がもうすぐあるので、今年のテーマは難民です。
そんなときにふと思い出したのが、スウェーデンのカリキュラムの一部分。小学校のカリキュラムの第1章「学校の理念と使命」の中に「理解と思いやり」という部分があります。その中に、
Det svenska samhällets internationalisering och den växande rörligheten över nationsgränserna ställer höga krav på människors förmåga att leva med och inse de värden som ligger i en kulturell mångfald. Medvetenhet om det egna och delaktighet i det gemensamma kulturarvet ger en trygg identitet som är viktig att utveckla tillsammans med förmågan att förstå och leva sig in i andras villkor och värderingar. Skolan är en social och kulturell mötesplats som både har en möjlighet och ett ansvar för att stärka denna förmåga hos alla som arbetar där.
という部分があります。私がつたない訳をすると、「スウェーデン社会の国際化と増加し続ける国境を越えた動向は、人々にそういった社会で生きていく能力を要求しており、自分が生きている世界は多文化なのだという理解をせずには入られません。自分自身の文化に対する意識とともに共通の文化遺産への参加の理解は、他の人の生き方や考え方に対する共感と理解を生み、確かな個人のアイデンティティーの確立をもたらします。学校は、文化的かつ社会的な出会いの場であり、そこには、それらの能力を全ての人々が高めるという可能性とともに責任がそこで働く全ての人にあるのです。」
学校法の中で、国際化や多文化していくことに対して、理解と思いやりで学校の使命として取り上げていることを大変興味深く読んだことを思い出します。今回のこのような難民の受け入れは、こうした人々が当然のこととして受け入れられる基盤があり、加えて、今までも多くの難民を受け入れてきた経験からなのだろうと思います。難民の方達が少しでも落ち着いて暮らせることを願い、難民問題の解決と問題がおこっている地域での平穏が戻ることを願うばかりです。