2013年12月25日水曜日

フィンランドの次はポーランドだ!

クリスマス、いかがお過ごしでしょうか。我が家は、「ありえないー」と100回くらい叫びたいくらいの出来事があり、クリスマスイブは大変なことになっておりました。はあ。。。
 気を取り直して、前回に引き続きPISAの学習到達度調査に関する話題を。前回の記事はこちらからご覧いただけます。
 今回の結果で目を引き、話題となっているのが、実は、
ポーランド
なんです。今までは、PISAといえば、フィンランドかアジア諸国でしたが、今回躍進したのが、ポーランドなんです。では、まずは、結果を。
読解力
2000年のテスト開始時には、スウェーデンは、516ポイント、OECD加盟国の平均が、500ポイント、そして、ポーランドは、479ポイントでした。これが、スウェーデンはこの12年間下降し続け、なんと、2012年では、483ポイント。そして、ポーランドは、518ポイントでした。OECD加盟国の平均は496ポイントなので、ポーランドはその上をいっています。順位で見れば、日本が1番、フィンランドが3番、ポーランドが6番、スウェーデンは、27番。
数学
ポーランドは2000年は470ポイントしかなく、スウェーデンは510ポイントありました。OECD加盟国の平均は500ポイント。これが2012年の結果では、逆転し、ポーランドは518ポイント、スウェーデンは、478ポイント、OECD加盟国の平均は、494ポイントとなっています。ここでもまたポーランドがぐっとこの12年で力を付けてきたことがわかります。順位でみると、日本が2番でフィンランドが6番。これに次いで、ポーランドが8番に付けています。スウェーデンは、28番。
科学
ポーランドは2000年は483ポイントあり、スウェーデンは512ポイントありました。OECD加盟国の平均は。やはり真ん中の500ポイント。これが、2012年では、逆転し、ポーランドは、526ポイントあり、スウェーデンは485ポイントとなっています。OECD加盟国の平均はあまり変わらず、501ポイント。順位でみると、日本が1番、フィンランドが2番、ポーランドが5番となっています。そしてスウェーデンは、27番。
今回ポイントが下がったフィンランドに取って代わって、メデイアで取り上げられているのがポーランド。やはり、この12年でポイントをしっかりあげてきたことがわかります。日本とかアジアの国々のようにポイントが高いことで知られていないマイナーな国だっただけに、今回の結果は目を引きます。
ポーランドの関係者は、インタビューで「この結果にとても驚いている」とコメントしており、今後様々な分析などが出てくると興味深いなあと思います。ポーランドは、どうも90年代に大きな学校改革をしたようで、その内容の一部が以下のようなものだったようです。
  • 義務教育を8年から9年にした。
  • 最初の6年間を小学校とし、最終学年に全国統一テストを導入した。
  • さらに3年勉強した後も、テストがあり、その後の進路に大きな影響を与える。
とありました。他にも特別な支援手だての導入を早期にしたなどというのもどこかで聞いた気がします。これらの学校改革の批判的な部分としては、やはり、学校教育がテスト中心になり、その結果に一喜一憂するようになったと言うことがあげられていました。学校の善し悪しをテストの結果で計るようになると、どうしても聞かれるマイナス部分です。ただ、こういった改革がピサの学力到達テストで結果をあげるのには必要なのだとすれば、なんだか教育とは何かという部分にまで関わってくるように思います。
 ポーランドが良い結果を残すに至った他の要因が今後研究者によって発表されるようになり、おそらくスウェーデンはそれに大きな関心をしめしていくと思われるので、どんなものなのか大変興味があります。時間がなくて、まだちらっとしか読んでいない、スウェーデンと日本のピサの結果をまとめたものも比べると面白いだろうなあとか思ってみたり。
 スウェーデンの様々なところで聞かれる声をまとめると、どちらかというと、あまりピサの結果に左右されない方がいいといった声を聞きます。これはこれととらえ、スウェーデンにはスウェーデンの教育のあり方があり、その教育を自国で計って、良くしていくことができればなあと思います。ま、興味深いのですが。。。

2013年12月23日月曜日

スウェーデンのピサの学力テストの結果と今後の選挙の行方

冬休みになり、やっと少し落ち着いた毎日になりました。年明けに控えたテストに向けて勉強を開始しなければと思いつつ、クリスマスらしくない外の風景を眺めています。(今年のストックホルムは雪がまだ積もっておらず、ホワイトクリスマスにはならないようです。)
  
 今日は、いろいろ思うところのあるピサの学力テストについて書こうと思います。12月に入り、2012年のピサの学力テストの結果が発表され、話題になりました。12月の半ばの大学の登校日でもその話がでましたし、選挙を控えているスウェーデンでは、政治も絡み討論番組でもかなり取り上げられました。国営テレビの討論番組にはいろんな国の方々が参加されたものもあり、大変興味深く見させていただきました。日本人の方もでていらして、やっぱりそう思うんだなあと思いました。
 ピサの学力テストについて少し書くと、テスト自体はそんなに古いものではなく、新聞の記事にこの立ち上げに関わった人のコメントが出ていたので調べてみると90年代後半につくられたもので、第1回目は2000年ということでした。その後、3年ごとに行われており、その人も、作成当時には、「こんなにこの学力テストが騒がれ、政治的な判断を下すのに使われるようになるとは思わなかった」とありました。スウェーデンの新聞やメデイアで昨年このピサの学力テストの名前が出されたのは、実に459回。その注目度はかなり高いです。
 個人的には、このピサの学力到達度調査で出される結果に一喜一憂して、学校の制度を変えていくとか、教育を批判するというのはあまり好きではありません。特にスウェーデンと日本で教育に関わってきて、その国が求める能力、社会が求める能力には差があり、それにより作られている学校の教育は、こういった学力テストで計られる以上のものがあると思います。また、今年に入ってピサに関する研究が出され、子どもへのテストと同様に行われる校長へのアンケートに関しての不正が発表されています。そうなるとこのテストに関する信用性というのは、騒がれるほど高くないのではないかとも思います。

 簡単に結果をみると、
読解力
2006年と2009年は韓国がトップでしたが、2012年は538ポイントで日本でした。OECD加盟国の平均ポイントは496ポイントで、スウェーデンはというと483ポイントでした。前回のポイントから下がった率が最も大きな国ということで、この3年間で子どもたちの読解力がかなり低下したことが問題視されています。
数学
2003年と2006年のトップがフィンランドで、その後2009年と2012年が韓国となっています。数学に関しては、北欧諸国の中で最も低い結果となったスウェーデン。OECD加盟国の平均ポイントは494で、スウェーデンのポイントは、478ポイントでした。こちらもかなり低い結果です。
科学
2003年、2006年、2009年とフィンランドがトップでしたが、今回は、日本がトップ。ポイントは、547でした。OECD加盟国の平均ポイントは501で、スウェーデンは、485ポイント。

慰めのように書かれているのが、今まですばらしいと言われ続けたフィンランドの結果が今回は、下がったこと。お隣の国で常に比べられているフィンランドとスウェーデン。スウェーデンのさんざんな結果を慰めるかのようにフィンランドのポイントもどの分野でも下がったのです。それでも、スウェーデンよりはかなりよいのですが。。。スウェーデンはというと、2000年の初回では、OECD加盟国の中でもトップクラスの結果を残し、スウェーデンより良い国は3カ国しかなかったのに、2012年の結果では、スウェーデンより結果が悪いOECD加盟国は3カ国のみ。ピサに関する記事やニュースで良いものは聞きません。。。
この結果に頭を悩ませているだろうと言われるのが、現政府と教育関係の大臣であるJan Björklundでしょう。来年に迫った選挙を前に、押し進めてきた学校改革の結果がこのように思わしくないと選挙戦どのようにでるかが大変重要になります。学校改革の結果が出るには時間がかかるために、それを言い逃れに使ってきた大臣ですが、さすがに、7年8年と大臣をしてくると、一般の人にはこの言い訳はもう使えないのではないかと。
しかし、学校改革自体が難しいものなので、今のところ、私が思うにそれほどたいした案が他の政党からあがっていないというのが慰めかも。どの政党の案もアイデアもいまいち、ぱっとしないし、本当に実現するのかと思わせます。このあたり、今後どのようになっていくのか大変注目するところです。スウェーデンの現在の学校の問題には、どの政党も歴史的に負い目があるせいか、あまり強く出ないのかとも思っています。

この学力テストでは、生徒への学力テストに加えて、先に不正があったと書いた校長への聞き取り調査が行われます。この聞き取り調査のスウェーデンの結果で気になるのが、
  • 授業に遅れてくる生徒が多いこと
でした。どうも、授業に遅れてくる生徒が増えているようで、他の国と比べても多いようです。授業をさぼると親への連絡が厳しくいくのでさぼることはないかもしれないのですが、授業時間に遅れてこれば、やはりそれはかなりその子どもにも回りにも影響を与えているのではないでしょうか。このあたり、スウェーデンの学校局がだす分析書をもう一度詳しく読みたいと思います。

2013年10月13日日曜日

スウェーデンの学校給食

昨日も今日も秋晴れの気持ちのいい日でした。家のなかでひなたぼっこしながら昼寝という極上の贅沢を味わった週末です。木曜日と金曜日は大学の登校日だったので、とても充実した忙しい時間を過ごしました。今回の課題で出したレポートの書き方がいまいちだったということがわかり、「そうか、そういうことか。」と思いました。一応マスターレベルになっているので、論文の書き方などとても厳しいです。慰めですが、スウェーデン人の方でも同じ間違えをしていると安心している自分がいます。今のところ、なんとかついていけているのでよしとしましょう。
 
 さて、今日は久しぶりに新聞の記事から、スウェーデンの学校給食について書こうと思います。まず、スウェーデンの学校給食の特徴をあげていこうとおもいます。
1、無料であること
これ、重要なんです。新聞によれば、学校のランチを無料で提供しているのは、スウェーデン、フィンランド、そしてエストニアのみとなっています。お隣の国、ノルウェーとデンマークは無料ではありません。デンマークは学校に行く(行かせる)義務ではなく、授業を受ける義務となっており、ホームスクールが可能なことでも有名であり、そうなるとランチの無料提供というのは考えにあがらないのだろうと思います。ノルウェーは、ランチ持参という話を聞いていて、移民でわたってきた子どもが変わったランチを持っていって恥ずかしい思いをしたというような話を聞きます。
無料であることはとても重要な点で、スウェーデンがおそらく誇りとしていることであると感じます。豊かな北欧のスウェーデンというイメージが強いのですが、貧困が問題となっており、学校で出される給食が1日の唯一の暖かいご飯だったという話を良く聞きます。すべての子どもに最低限の生活を保障する一面を今でも担っている給食というのは大変考えさせられるところです。
2、ランチの時間が10時半から12時過ぎ
ランチルームで食べるため、ランチの時間にものすごく差があります。低学年のクラスは、実に10時20分頃から食べ始め、高学年になると12時過ぎというのも珍しくありません。このランチの時間を10時半以前にしないこと、11時をめどにすることという一応の目安はあるのですが、多くのところが守っていないのが現状です。早い子どもは6時半頃に学校に来て7時に学童で朝食をとり、途中で果物を一つ食べて、10時半にランチ。14時頃に間食を学童でとり、(簡単なサンドイッチやヨーグルトなど)家庭で夕食を18時頃とるとなります。このランチの時間に関しては、いろいろ問題があるのが事実です。
また、ランチの時間を区切っているので、最低でも20分は子どもにあたるようにと決まりがあります。うちみたいな田舎の学校だとそんなに大きくないし、ランチルームも余裕があるので、10時20分に食べ始めれば、各クラス30分は時間があります。が、ストックホルムの街中の学校などではそれも難しいとも。急いで食べるのも良くないし、子ども同士のもめ事も増えるような気がします。
よく聞くもう一つの問題が、遅い時間に給食を食べると、メニューによっては残っていないという問題。とっておいてくれればいいのにとも思うのですが、よく聞きます。ミートボールなど子どもの好きなものだと「一人いくつまで」と書いてあってもやっぱりなくなるとか。

3、エコロジーな食品を使う決まり
住んでいる場所の近くでとれた食材だとか、環境に良い食品、食品添加物の少ない食品などにつくマークがあり、そういった食品を最低でも25%含むようにという決まりがあります。新聞ではこの25%は少ないのではないかとありましたが、現実的な数字を目標にしているのだとストックホルムの学校関係のトップであるロッタ・エードホルムさんが答えていました。
幼稚園でも今の学校でも確かに話題にあがります。全体のどのくらいがそういったエコを意識した体に良い食品となっているかというのは数字で示されます。でも、からくりがあるなあと思うのは、25%くらいだと牛乳だけはKravというマークのはいったものにしてしまえば、かなり数値が良くなるのです。牛乳以外のものを多少意識すれば達成されるような数字であれば、もっとパーセンテージを上げてもいいのじゃないかと思ったことがあります。

4、子どもの意見を取り入れる
給食について話し合う会をもったり、子どもの好きなメニューを投票に基づいてランチのメニューにするなど、子どもの意見を取り入れる活動が各学校で行われています。これ自体は珍しいことでも何でもないと思ったのですが、やっていない学校もあるのかもしれないと思いました。

新聞記事の主旨は、環境党がストックホルムの学校給食を問題視したもので、上記の内容以外に、ストックホルムの学校の約半分が調理室をもっておらず、給食を学校で調理していないのも問題だとありました。この問題は、私がストックホルム市内で働いていたときからあがっていて、それがもう6年ほど前。少しずつ改善はされているのだろうけど、建物不足のひどいストックホルムではなかなか難しのも現状かと。
給食にお金を最もかけているのは、ストックホルム県内では、スンドビーバリイ(Sundbyberg)スウェーデン国内では、ドロテエーア (Drotea )とありました。最もかけていないのはストックホルム県内では、ウップランドーブロー(Upplands-bro)スウェーデン国内では、オートビーダバリイ(Åtvidaberg)とありました。

スウェーデンの給食は日本の給食に比べれば劣り、食文化の面で見ても日本に勝てる国はなかなかないだろうとも思います。それでも、それなりに信念を持ち、無料で提供し、なんとかしていこうと努力しているスウェーデンには、見習うことが多いようにも思います。時々、日本の学校給食はなんで無料にしないのだろうかと思います。なんででしょうか。お時間のある方、是非、コメントをのこしてくださればと思います。
読んだ新聞記事:Skolmaten blir valfråga i Stockholm DN 20131009

2013年9月28日土曜日

歩けるという可能性ー続編

今日は、ある方からコメントをいただいたので、それに関して答えていこうと思います。まずは、コメントをくださった方、ブログを読んでくださり、コメントまでくださり本当にありがとうございます。また、9月中にコメントをくださった方、返事を書いていたのに公開するのを忘れていました。コメントの返事が遅れたこと、お詫び申し上げます。今後気をつけますので、これに懲りずに、コメントくださるとうれしいです。
 前に書いたのは、こちら。「歩けるという可能性
 コメントでは、この「歩けるという可能性」に関して、具体的な子どもの姿やそこから引出されてくる人間的な行為のちがいを知りたいということでした。そこで、少しですが、書いてみようと思います。
 少しその前に私の持っていたクラスの話をもう一度しておくと、5年間車いすを使用している生徒たちの担任をしていたのですが、現在は、歩行可能な生徒の担任をしています。
歩けるということは、自分の欲しいもののところへ行けるということ
まずは、何と言ってもこれが大きいと思います。私が受け持っていた車いすを利用した生徒たちは、1名を除いて自分で車いすを動かすことができません。他の人が車いすを動かさない限り、その子たちはその場所にいることになります。その上、この子たちは、言葉を話すことができません。発語はあったので、数名の子はときどき大きな声で教えてくれることはありますが、それでも、誰かの手を借りないとその場にいることになります。
この点、今のクラスの子どもたちは、好きなところに行きます。音楽が聞きたいときは、CDプレーヤーのある場所にいきますし、ブランコに乗りたいときもブランコのそばに行きます。絵や写真を使ってコミュニケーションをとる段階に至っていない子どもでも、歩けることによって自分のしたいこと、欲求を伝えることができます。
前のクラスの生徒に4年かかって、車いすを動かす方法を教えました。彼女は、右手なら動かせたので、その手で少しずつ動かす方法を教えます。今では、多少なりとも自分の意志で車いすを動かせるようになりました。
現在のクラスの子どもたちは、勝手にどこかに行ってしまう可能性もあるので、目が離せないのは前の生徒たちと変わらないのですが、勝手に動いてくれるからこそ、言葉を話さない生徒たちが何を考えているのかよくわかり、とても興味深いです。
幼児期に力を入れることは何かといわれたら、やはり歩行が可能になるように特訓をしていくことであると思います。体が大きくなり、身長が伸びると体の重心がかわりバランスがとりにくくなるので、その前にできることならば、歩行を特訓しておくとよいといつも思います。
歩けるということは、コミュニケーションの機会を自分で持てるということ
最初のにつながる部分が多いのですが、歩けると生徒たちが自分から私のところにきてコミュニケーションを持ちます。そばにきて、にこっと笑って手を握ったり、ハグをしてくれたりします。車いすを利用している生徒たちは、床で自由に動けるときでも、こういった自分から人によっていき、コミュニケーションをとるということが少ないように思います。慣れていないせいでしょうか。
自閉症に見られるクレーン現象も、歩ける生徒たちには頻繁に行いますが、同じ自閉症でも車いすを利用している生徒はこれが少ないように思います。車いすに座っているということが、コミュニケーションを受動的にさせる何かがあるように思います。
クラスを変わって、男の子3人のなのですが、彼らが一緒に散歩するときになどにさっと手を握ってくることがあり、はっとするときがあります。今までの5年間ではそういう行為がなかったのです。最後の数ヶ月、4年間関わってきた車いすを利用した男の子が私の手を握ってくれてうれしくて涙がでました。そういう行為が自発的におこるということが、彼の大きな成長であったと思います。
歩けることにより、コミュニケーションの機会を自分で持つことができ、自発的なコミュニケーションをすることを覚えるだろうと思います。車いすに座って、「先生のところに行きたい」といくら思ってもかなわなければ、こどもはそう思わなくなり、違う方法でコミュニケーションをとることを覚えるのだろうと思います。

歩けるということは、身体機能の維持に大きな広がりが持てるということ
歩けるということは、立つことができるということであり、これによって、身体能力がかなり高まります。生きていくということは、この身体的な機能をいかにのばし、保持していくかが大きな鍵となります。運動をして体力をつけたり、筋肉をつけたりすることは、普通の人の場合は、普通に行っていることなのですが、障がいを持った子どもたちの場合は、意図的に行う必要があります。
車いすを利用している子どもたちの多くは、自分でこういった身体的機能維持のための日常的な運動ができない場合が多く、他の人に手を借りて行うことなります。また、1日の大半を車いすに座って生活することになるため、背骨などの骨や臓器など、「座り続ける」ことによって大きな影響を受けます。
スウェーデンは、福祉機器が発達しており、様々な訓練用の補助器具がありますが、それでも、誰かの手を借りない限りはできません。それに、それを行う時間を決めるのも、本人ではなく他の誰かです。
歩行可能な子どもは身体機能の維持のための活動がいろいろと選べ、しかも嫌なときは「動かない」ということで意思を明確に示すことができます。田舎にあるうちの学校では、スウェーデンらしく、森の中で体育活動を行うことがあります。森の中は、バランスをうまくとったり、木の枝をくぐったり、またいだりと、歩くだけなのにいろんな身体的な活動ができるのです。でも、この森へ行くのをいやがる生徒がいます。森の入り口で、くるっと反対向いて歩いていきます。こういうことができるのも歩行可能な生徒ならではです。ついでに付け足すと長い道を歩くのがいやなときは、勝手に近道を選んでいったりします。
歩けるということは、行動範囲が広がるということ
歩けるということは、行動範囲が広がっていいなあと思います。車いすの場合は、明らかに車いすを押す人の体力によって行動範囲が左右されます。冬になり雪がふると車いすでの外出は困難になります。坂のおおい学校周辺では、車いす利用の生徒の年齢があがると車いすで出かけられる範囲が極端に狭まります。
この点、歩ける生徒たちは、バスや電車を利用していろんなところに出かけられます。車いすでバスに乗るのはスウェーデンでも容易ではありません。乗車拒否されたという話を時々ニュースで見かけます。車いすとベビーカー用の場所がありますが、たいした広さではなく、乗れるかどうかわからないバスを利用する計画を学校ではたてません。学校からの遠足で車いす用のバスを利用すると料金が大変高く、年間数回しか計画を立てられません。
こういったところも歩けるというのは大きな可能性を見いだすものであると思います。


思いついたことを書いてみました。多少なりとも参考になればと思います。もしも、さらに質問などあれば、ぜひ、またコメントをくださいね。では、よい日曜日を!

2013年7月7日日曜日

96%の学校が何らかの問題あり?!

 スウェーデンの学校は、定期的に「学校検査局」みたいなところによって、国が定めた学校法などに従って学校が運営されているかどうか調査が入ります。この調査によると、昨年何らかの不備があった学校は、
96% 
745校のうち715校
にのぼりました。
 私が働いている学校にもこういった調査が入ります。その度に、何らかの指摘をされているので、おそらくうちの学校もこの715校にはいるのかなと思っています。(でも、昨年は調査入らなかったようにも。。。毎年ではないのです。2、3年に1回の割合で調査が入ります。)
 調査の目的は、最初にも書いた通り、定期的にスウェーデン中の学校を訪問して、学校法や決まり、カリキュラムなどがきちんと守られているかどうかを調べることにあります。訪問の前には、必ず、生徒と保護者に対してアンケート調査が行われます。うちの学校では生徒へのアンケートは困難であるために、毎回話題にはなり、可能である生徒にのみ行われます。訪問前に資料などを提出し、訪問が行われます。その際には、校長、職員、生徒へのインタビューや授業見学、学校見学が行われます。
 調査には、長いチェックリストがあり、それを一つずつ見ていくので、何かしらで引っかかる学校が多いようです。これに関して、細かすぎるという批判も多少なりともあります。調査が終わり、「不合格」をもらい、何らかの問題点を指摘されると、資料などの再提出日が決められ、その期日までに不備をただすことになります。内容にもよりますが、最低でも2から3ヶ月はあるので、その間に対処をします。こういった対処をしないと最終的に罰金となる場合もあり、ストックホルムでも数校昨年の不備から罰金を請求された学校があります。
 
 では、どういった内容で、再提出、不備、不合格となるかというと、
  1. 保護者に子どもの学校での様子や成績が情報が十分伝えられていない
  2. 男子と女子の間の成績に大きな差がある
  3. 教師の半分以上が教員養成課程を出ていない
  4. 特別な支援を必要とする生徒に支援が行われていない
  5. 教職員による差別的な行為や発言があった
  6. 生徒の実際の能力以上の成績がつけられていた
  7. 生徒が落ち着いた学びの環境ではないと指摘した
などなどでした。(番号に意味はありません。)

一番多く指摘されるのが、1番の保護者に十分な情報伝達が行われていない点だそうです。3番の教員免許を有した教員の割合は、かなり厳しく指摘されているので、多くの学校がこれで問題になっているでしょうね。また、全国統一テストの結果から、実際につけられた成績を比較して6番のような実際の能力以上の成績がつけられているところまでしっかり指摘されています。アンケートも侮れないことが7番からもよくわかります。

 こういった調査がしっかり入ることはよいことだと思います。コミューンレベルで教育を任せているスウェーデンでは、どこかでしっかりと検査しないととてもじゃないけれど、全国平等な教育をもたらすことはとてもじゃないけど無理です。どうして、こんなに不備を指摘される学校が多いかといえば、一つはチェック事項が多いので、何かしら、問題があれば、そこをただしていけばいいという考えを見聞きしますので、絶対に一発合格じゃないと行けないという雰囲気は感じないので、どこもそれなり努力して問題点を改善しているのでしょう。もう一つ気になることとしては、問題の多い学校は校長がコロコロ変わっている場合が多いということが記事の中で指摘してありました。こっちの方が問題でしょうね。校長がよく変わる学校はやはり事態の把握に時間がかかりなかなか問題の解決に至らないようです。

 今日終わりを迎える今年の政治週間でも教育問題はかなり大きく取り上げられました。どうなるのかなと思う今日このごろです。


 読んだ新聞記事:Betyget: De klarar inte kraven, DN, 20130411

2013年5月19日日曜日

学級規模縮小案に対する反論から

忙しい1週間が終わり、週末になりました。今週末は、アイスホッケーの世界大会の決勝に加えて、昨日はユーロビジョンコンテストというヨーロッパの歌の祭典があり、テレビの前でだらだらしながら、過ごしています。フィンランドに勝ってほしかったけど、負けました。。。三者懇談を3人終えて、残りは1人なので、だいぶ気が楽になりました。残り1ヶ月をきった今学期、やりかけたことがたくさんあり、なんとか、夏の休暇に入る前に終えてしまいたいと思うところです。
 
 スウェーデン社会民主労働党が、20億円を投入し、4000人教員を増やして学級の規模を小さくするという案を出してきました。これに対する批判意見が新聞に載っていたので、そこから思うところを少し書こうと思います。反対意見の中核は、
教員を増やすよりも、お給料を上げるほうが効果的だ
というものです。最近よく名前を聞く、John Hsttieというニュージーランドの研究者によれば、「学級規模よりも(子どもの人数)能力のある教員のほうが意味がある」そうで、単純に教室の中の子どもの人数を減らしても、教員の能力がなければ、生徒の力は伸びないということですよね。これは、実際に教員として働いていて、この研究はもちろん読んでいませんが、納得できます。確かに子どもの人数が減ると仕事の量には多少差が出ますが、でも、教員の仕事というのは子どもの人数だけで左右されるものではないので、実際に人数が減ったからといって、仕事がぐっと減るとかいうことはありません。
 それに、今のスウェーデンの学校の状態で、教員の増加を望んでも、応募してくる人たちの質ってどうなんだろうかと思ってしまいます。そんなにたくさんの先生を雇えるのかなとか思ってみたり。反対意見にもあったけど、もう少し、教員という仕事を魅力的なものにし、それなりに、お給料を上げない限りは、能力のある先生は増えず、無駄にお金を投入するだけのように思います。教員養成課程をでて、教員にならない人が増え続けているので、そういった人たちを教職にもどすのに最も効果的なのは、おそらくお給料だろうと思います。
 面白いなあと思ったのが、ピサの学力テストで上位を占める国というのは、決して学級規模の小さい国ではないということです。日本もそうですが、上位の国々はスウェーデンに比べるとはるかに多くの生徒を一度に教えています。スウェーデンの教育のよいところや目指すところを実現しようとおもうと、あまり大きなクラスは向かないだろうとも思うので、簡単に規模をどうレベルにすれば済むというものでもないので、なかなか難しいのですが。
 同様にして、反論を見ていくと、スウェーデンの学校でも、OECD各国の平均の学級規模にすれば、先生の数を少し減らし、今のお給料よりも月5000k増やすことができるとか。単純な計算であり、こちらも、スウェーデンの教育を考えると難しいものでもあるけれど、教員さえ増やせば、なんとかなるだろうという考え方には、私はあまり賛成できません。
 お給料を上げれば、じゃあいいのかというとそうでもないかもしれませんが、一つだけ思うのは、もしも、お給料が上がり、教員になる人が増えれば、競争が生まれ、よい人材の確保ができます。そのことにより、一緒に働く同僚の質が変わり、よりよい学校運営と教育が行えるだろうと思います。日本のように県などで採用されて移動があるわけではないスウェーデンでは、人材の確保、質の向上が大変難しいように思います。
 そろそろ、本格的に次の選挙に向けて、具体的な案がいろいろ出てくる時期かなあと思います。夏の政治週間なんかも注目だし、教員免許のあたりも多少案が出始めました。気になるところです。