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母国語教育の先生も教員免許必須!

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とってもよい天気の続いているスウェーデン、ストックホルム。住んでいる町で行われたフリーマーケットなどをはしごして、よい天気を満喫してきました。いくところ行くところで知り合いにあい、話も弾みます。  さて、今日の朝の新聞を読んでいて、大変驚いたのがこちらのニュース。 母国語教育の先生も教員免許  私はいろんな教育関係の新聞や雑誌、一般の新聞にニュースなどを割りとくまなく読み漁っているほうなので、こういった傾向があれば、おそらく分かったはずなんですけど、まったく予想外でした。  スウェーデンでは、外国から来た移民の子どもや家庭でスウェーデン語以外の言語を話し、母国語とする子どものために母国語教育が行われています。提供するのは、コミューンですので、 住んでいる市によって多少条件が異なっており、ストックホルム周辺の多くのコミューンの傾向としては、最低5人同じ言語で子どもがいることを条件 にしている場合が多いように思います。  こういった言語の教育は年々減っている傾向を見受けます。実際に統計を調べていないので分かりませんが、雑誌などで読む限りには、減少傾向にあるように思います。言語は、様々な言語があり、日本語もありますし、タイ語、フィンランド語、アラビア語などなど、ありとあらゆる言語で行われています。そうなると、こういった言語を話せる人はいても、教員免許をもっており、母国語としている人には限りがあります。こんな状況を受けて、現政府は、今回の教員免許制度導入に関わっては、母国語教育者を対象としていませんでした。それが、今回野党側の意見が通り、母国語教育の先生も教員免許を有することということになったようです。  教員免許制によって、教員のステータスがあがるのはよいのですが、実際に教育できる人が減るのは大問題です。特に母国語教育のような仕事では難しいと思います。多くの場合、1時間から2時間を複数校で掛け持ちして教える場合が多く、フルタイムの仕事にはなりにくいので、このために教員免許というのもやる気がおきにくいように思います。これによって、母国語教育の地名やステータスがあがるならばいいのですが、今までの傾向では削減縮小方向にあるように感じます。  おそらく、この決定で一番頭を悩ましているのが、教育関係の省庁の長であるJan Björklund(ヨ...

スウェーデンの学校選択自由化が招いた悲劇 その2

 先ほどの「 スウェーデンの学校選択自由化が招いた悲劇 」の続きを書こうと思います。  昨日のニュースで、これに関する興味深い内容を聞きました。新聞記事としては、まだ読んでいません。  先ほどの学校選択自由化に伴い、いわゆる移民の多い地域に住んでいる子どもが、移民の少ない、スウェーデン人の多い地域の学校に通いだしました。 (予備知識ですが、スウェーデン、ストックホルムは、移民の多く住む地域とスウェーデン人が多く住む地域とはっきりと分かれています。)  これによって、保護者は成績が伸びることを期待します。残念ながらどこが出した統計か覚えていないのですが、おそらく社会福祉関係の機関だと思います。ニュースによると、 子どもたちは成績が伸びるどころか、自分の持っているもの、おかれている状況を他の子ども比べて、精神的に不安定になり、結果的に成績は期待していたほど伸びない 傾向があるということでした。大変興味深い内容です。移民の多い地域から、登校時間に時間をかけて、わざわざその学校に通っているのに、そこにいる子どもと自分を比べて落ち込むなんて、かわいそうだと思ってしまいました。こうして、学校を変わる子どもの傾向として、 頭がよくて感受性が強い子ども が多いのかなあとも考えてしまいます。  お金のある裕福な家庭の子どもが多く住む、スウェーデン人の多く住む地域の子どもは、休みごとに外国にでかけたり、スキーにでかけたりと、比べる要素はたくさんあると思います。日本のように私立だから高い学費というのはスウェーデンではなく、 学校は無料 であるため、学校に通うことはできます。が、そうした「付属」部分にお金をかけられるか、かけられないかは、大きな差になってくるのでしょう。  住む地域によって学校がきまっていると、住む地域の地価があるので、それなりに割り振られた家庭の子どもが付き合うことになってきます。そういうのを飛び越して学校を選び通っているのですから、仕方がないといえば仕方がないのでしょうが、精神的に落ち込む子どもがいるのは残念ですし、本来ならば、伸ばせた力がこれによって伸びなくなるというのは残念なように思います。     それにしても、何でスウェーデンでこうした学校選択の自由化にいたったのだろうかと考えてみました。私が思いつくのは、 ...

スウェーデンの学校選択自由化が招いた悲劇

スウェーデンでは、 1990年代 に 「学校選択の自由化」 が行われました。1992年からは、公立と私立の学校の両方で選択の自由ができるようになりました。2012年の今、あれから 20年 がたち、これに対する 批判が多く聞かれるよう になりました。5月に入り、Skolverketという学校関係を扱っている機関も、学校選択の自由化のレポートを出し、それを批判したので、新聞でも大きくかかれるようになりました。  学校を自由に選択できることは、民主的であり、聞こえはとてもよいのです。この問題は、ここ数年よく聞かれるようになり、学校選択自由化に対する調査を行うべきだという声があったのです。政治家がこれを阻止しようとしたらしいのですが、結局調査は行われることになり、その結果が出できたのかなと思っています。  スウェーデンの学校選択自由化での問題をまとめてみたいと思います。 1.学校間の差が大きくなった。スウェーデンの学校の均等性がなくなった。  学校が自由に選べることになり、保護者の教育レベル、教育的関心が大きな意味を持つようになり、また、保護者が外国人であるかないかも大きな意味を持つようになりました。関心の高い親は、子どもが生まれた時点で小学校の順番待ちに並ばせるくらいの気合の入った方もおり、そこまでいかなくても、より良い学校に入れるためにがんばります。学校に入学してからも、クラスの雰囲気や教員、移民の子どもの人数などなどを理由に、学校を変わっていく子どもが大変たくさんいます。   私が聞いた例などは、こんな感じ。ストックホルム郊外の学校。スウェーデン人の子どもが多く通っている比較的落ち着いた学校だったそうです。それを聞いた移民の保護者が自分の子どもを通わせます。数名のうちはいいのですが、だんだんと増えてくると、スウェーデン人の親たちが自分の子どもを違う学校に変えていくと。たいていの場合は、ストックホルム市内の有名な学校などへ転入させるらしい。一人学校を変わると、それに伴って、数人のお友達たちが一緒に学校を変わっていく。  こういった話はよく聞くもので、学期途中でもお構いなしで席さえあけば、次々と生徒が転出転入してくるという現状に、教員は困ってしまう。上記では、スウェーデン人の親と書きましたが、これは、移民の親も同様で、熱心な移民の親も、自分の子ど...