2019年1月8日火曜日

誰にも認められない学びに敬意を

 スウェーデンの教育の変更点、結構あるので、それだけで、あと5回から10回書けそうですが、少しずつ紹介していくということで、今日は、昨日同僚と話した中で印象的だった内容を書き留めておこうと思います。

 私が教えている重度重複障がいがある生徒たちの中には、表面的に見て、

「この子、何にもわかってないだろうな。」


と判断されるような、重い障がいのある生徒がいます。重度重複といっても、やはり差があり、その能力や性格、今までの環境と経験によりかなり力に差があります。しかし、表面的に何もわかっていないと思われる、「赤ちゃん」のような生徒であっても、その中でどんな理解をし、経験をしているか計り知れないのだから、

「わかっていないから、やっても無駄」

という考え方は、重度重複の生徒の教育にかかわるものとしての基本姿勢としては、何か足りないだろうという話をしました。そうではなく、見えない内側でどんなことを経験しているのだろうと興味関心をもって生徒に接し、生徒の学びに敬意を持つことが重要であると思います。


 時々、受けます、本当にこの子に教えても意味あるの?みたいな返答や反応。。。。。そんな時に、いかに生徒の人としての権利、尊敬を伝えられるかは、私の力のなすところです。生徒が成長できる環境で重要なことは、その可能性を信じてくれる教師や大人が周りにいて、その持つ可能性と能力を伸ばしてくれる適切な課題を与えられることであると思います。たまに負けそうになる自分に、やる意味を訴え続けることに疲れてしまう自分に、渇を入れる意味も込めて、書き留めておこうと思いました。


 今学期、自分の中のテーマは、

特別支援学校の重複の生徒におけるデジタル教育の在り方
「仕事、住まい、余暇」をテーマにした重複の生徒の卒業準備

としてみました。写真は、インスタグラムのほうにあげているので、興味のある方はぜひ。

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