2022年8月2日火曜日

スウェーデンと日本の特別支援学校の姉妹校プロジェクトを振り返って

この投稿は、旧ブログと現ブログの姉妹校プロジェクトの投稿をまとめて、再投稿しています。
 私が最初に働いていたストックホルム郊外の公立特別支援学校は、日本の広島県東広島市の西条特別支援学校と姉妹校でした。プロジェクトは、2012年から2015年までの3年間、その後もやりとりが続いています。今回はそのプロジェクトについてです。

1.どうやって、スウェーデンと日本の特別支援学校が姉妹校になったの?

 きっかけは、なんと、このブログだったんです。時は遡り10年前の2012年に、このブログを読んで下さっていた方(二人も!)が、「日本の国立特別支援教育研究所」が現地調査員を探しているというメールをわざわざ下さりました。私は、その調査員には条件が合わず、ならなかったのですが、スウェーデンの特別支援教育に関しての情報提供をさせていただきました。その時に、特別支援教育研究所のほうに日本の特別支援学校から、「海外での姉妹校を探してるので紹介してほしい」と連絡があったのです。その時に「日本人が働いている支援学校ありますよ。」と、私の働いている学校と他何校かを紹介したのです。広島県は、県内の全ての公立高等学校が海外の学校と姉妹校を持つというプロジェクトを3年で立ち上げたところでした。日本人がいるならと、西条特別支援学校と私の学校の姉妹校の話がトントン拍子で進みました。これが、2012年4月のことでした。懐かしい!

2.どうやって準備をすすめたの?

 準備は、主に私が日本語でやりとりをして、進めました。調印式や本格的な交流は、夏休み明けの新年度からだったので、まずは、お互いの学校を知ることができるようにと、日本からDVDで学校の様子などが届き、同僚や生徒たちがそれを見て姉妹校プロジェクトが始まるんだという実感を持ってもらいました。この当時の職場には、音楽療法の先生、ICTの先生、理学療法士の先生が、各クラスの担任以外にいたので、主に彼女たちがこのプロジェクトの中心となって私といろいろと準備をしてくれました。

3.プロジェクトのスタートは?

 2012年8月から始まった姉妹校プロジェクト。日本の西条特別支援学校から校長先生と教頭先生が調印式を兼ねて、スウェーデンを訪問しました。夏の休暇明けすぐで、すごく忙しかったのを覚えています。その時のブログには、

「今もそうなんですが、昨日くらいまでは、緊張していたのが、今日になり、校長や同僚の反応などをみていると、緊張よりもわくわくするような楽しい感情がわいてきました。遠くからやってくるお客様にやはり喜びは隠せません。おそらく、日本の方が考えるような歓迎とは違うのだろうけど、それでも、スウェーデンらしい、スウェーデン人らしいアイデアがたくさんあります。私もできるかぎり、黒子?ではないのですが、あまり口をださず、意見を求められれば答えつつ、でも、ここはスウェーデンの学校らしさがでるようにと、しています。(というほど、日本人的な感覚はなくなりつつある私ですが。。。)でも、こういうお互いの文化が強調されるのが交流のいいところなので、いろいろ起こる問題課題難題にいらいらせずに、笑って対応です!」

とあります。日本側からは、細かい調印式の内容や書類が来るのですが、それをスウェーデン語に訳して、説明しても?なことは多くあり、文化が違うのを実感し、その間を行き来していたことを思い出します。

4.調印式

 本当ならば、よい天気が続くはずの8月のスウェーデン・ストックホルム。しかし、この年は天気が悪かったので、雨が降った場合のBプランを用意しました。当日に至るまでのスウェーデン人同僚たちの様子は、だんだんと緊張してくるというか、それまでは、あんまり実感がなかったのか、突然先週の火曜日辺りからどうだこうだと。ちょっと遅いような気もするが、ここもお国柄。彼らいわく、

 夏休み前はまだまだ時間があると思っていたらしく、休み明けは調子を取り戻すのに時間がかかり、気がついたら、すでに1週間きっていた。

というよくあるパターン。最近はもうすっかり慣れました。

 当日は、あいにくのお天気。仕方がないのでBプランで準備をしました。このBプランの問題点は、学校の体育館が小さく、防災法の関係で小学校は1クラスしか参加できないことにありました。もちろん、これが大問題。小学校と隣接していたので、今回のお客様は、学校へのお客様ということで、小学校と特別支援学校両方で準備をしてきました。子どもたちも楽しみにしており、いまさら、天気が悪いから出られないとは、いえない、とのこと。結局、霧雨のような雨の降る中、外で行うことになりました。ここに至るまでの話し合いと決断、スウェーデンにしては早いほうだと思いました。私にも意見を求められ、「みなさんで決めてください」と言わせていただきました。。。

 さて、この天気の中、スウェーデンの子どもたち、どうなることかと心配したのですが、そんな心配はまったくいらないくらい、どの子どもよくがんばりました。約35分かかった調印式、みんなじっと立ってがんばって聞いていました。これには、うちの学校職員全員がほんとうに驚きました。普段のこういった会での様子を知っているからこそ、今回の様子があまりにも違い。。。うちの校長は、よくがんばったということで、ご褒美を準備するそうです。風もけっこうびゅんびゅんしていて、寒かったけど、本当によくがんばりました。

  調印式では、スウェーデンと日本の国歌も歌いましたし、校長先生の話もありました。生徒の話もありました。日本から、習字できちんとかかれた言葉が運ばれ、校長先生によって読み上げられました。私はずっとスウェーデン語での訳をいれました。最後にサインとテープカットをして、これから3年間行われる姉妹校の取り組みが始まったのです!


5.母からの贈り物

 私の母からの届いた謎の贈り物は、「千羽鶴」でした。日本の特別支援学校は広島県の学校ですので、うちの母が3000羽の鶴を折って送ってくれました。調印式の中で、この鶴について話をしてほしいといわれ、千羽鶴とサダコの話を紹介をしました。「広島」という名前を言えば、スウェーデンでも誰もが「ああ、あそこね」というくらい知られた県だからこそ、そこにある願いと思い、意味は深いのではないかとも思いました。


6.どんな交流をしたの?

 今でも残っている交流は、お互いの学校の児童生徒の作品を送り合い、映像や音楽での交流でした。生徒や教員のオンラインでの交流も試みましたが、時差とその当時の日本のオンラインやインターネット上の決まりが厳しく、なかなか難しく、確か1度行っただけだと思います。教員同士でコンタクト教員を作り、お互いにメールをやり取りしていましたが、日本側は転勤があると変わっていってしまうため、なかなか定着しませんでした。それでも、数名の先生は、やりとりを楽しまれていました。そんな中で、なんとか姉妹校プロジェクトを生徒たちに実感してもらいたいと思い、行っていたのが「日本週間」でした。

 日本からは、もう一度スウェーデンに、生徒とお母さん、先生2名が訪れてくれました。私たちも、日本には2回行きました。1回目は、校長、副校長、ICTの先生と4人で行きました。2回目は、同僚の先生とアシスタントとみんなで行きました。




0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントをありがとうございます。