この投稿は、2015年8月6日のものを更新して、再投稿しています。
2022年7月16日に、初の単著「医療・福祉・教育・社会がつながるスウェーデンの多様な学校~子どもの発達を支える多職種協働システム」を刊行。是非ご一読を😊
今日は8月6日、77年前の今日、広島に原子爆弾が投下されました。私がスウェーデンで初めて働いた特別支援学校は、広島県の西条特別支援学校と姉妹校のプロジェクトをしました。詳しい内容は「スウェーデンと日本の特別支援学校の姉妹校プロジェクトを振り返って」をご一読ください。このプロジェクトは、広島県内の全ての県立高校が外国に姉妹校を持ち、交流を行うというプロジェクトでした。スウェーデンと姉妹校になったのは、西条特別支援学校と私の学校、エレブロにある高校の福祉科も姉妹校になったそうです。
姉妹校プロジェクトを行うまで知らなかった、「被爆アオギリ」という木について、姉妹校プロジェクトの中で教えていただきました。77年前の被爆にも負けずに生き残った木々の中の代表だそうで、平和公園内、原爆資料館東館の北側にあります。このアオギリの樹から、広島県内の学校に苗木が渡されるそうで、西条特別支援学校にもこのアオギリの樹がありました。希望をすると苗木がもらえるようで、修学旅行などで訪れた日本中の学校や世界にも渡されているようです。
このアオギリの樹のそばで聴ける歌が、「アオギリの歌」です。
歌は、2000年に広島市のミレニアム記念事業として「広島の歌」を公募し、小学3年生だった森光七彩さんが作詞作曲したそうです。
「アオギリの歌」
電車にゆられ 平和公園
やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで
家族が増えたんだね よかったね
遠い昔のきずあとを 直してくれる アオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと
資料館で見た 平和の絵
いろんな国の 人々や
わたしが みんなが 考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
争いのない国 平和の 灯
遠い昔のできごとを わすれずに思うアオギリの うた
これから生まれてゆく広島を大切に
広島の願いは ただひとつ
世界のみんなの明るい笑顔
広島の学校と姉妹校になってわかったことに、広島では岐阜県生まれの私が受けてきた教育にはない形で、平和学習に重点を置いて行われていることです。人類が決して忘れてはいけない、原子力爆弾の投下により多くの尊い命が一瞬にして亡くなったという事実を様々な形で子どもや若者に伝え、世界に伝えていく学習が行われています。8月6日の原爆投下の日に、この歌を聞き、平和記念式典の様子を見て、登校日になっている広島県内の学校で先生方が子ども達と向き合っている姿を想像し、胸が熱くなり、世界の平和を心から願います。
このアオギリの歌、小学生の子が作ったという感じが少し残る、とても素直なメロディーで、広島の願いは、世界のみんなの明る笑顔というのにも心がとてもうたれます。広島の原爆の話などをしようとすると、わたしなどは難しく考えてしまうのですが、この歌詞には、率直な日本語であるからこそ伝わるものがあるように思います。姉妹校プロジェクトをしていたときに、この歌をスウェーデン語に訳して、音楽の先生と一緒にスウェーデン語版を作りました。懐かしく思い出します。
遠い昔の出来事になりつつある、広島と長崎のできごとを忘れずに、全ての世界の人々が平和で暮らせる世界を願い、そのために私ができることを頑張っていきたいと思います。
はじめまして。 ダルマ子と申します。私は公立小学校で特別支援学級の担任が多く、こちらのスウェーデンの教育と特別支援のブログにとても興味を持ちました。
返信削除初めてにも関わらず、ずうずうしくも長く書き込んでしまったので、削除されても大丈夫です。
スウェーデンでは、WWⅡはどんなふうに伝えられているのでしょうか?日本は侵略者?原爆投下は正しかったか?表向きには、原爆投下を命令したトルーマン米大統領は原爆の投下により、少ない犠牲者で多くの人々を救えたと語っています。広島の原爆投下には米兵も犠牲となり、今でも被爆者は苦しみ続けているのが現実で、日本が早く早く降伏しなかったため、こうなったのだと。さらに長崎の原爆投下。開戦を励行した軍部ではなく、何も知らない市民が犠牲。
これで原爆投下は正しかったか。。。実は、トルーマンは旧ソ連の対日戦を容認していた。だけど、旧ソ連軍の侵攻が日本本土まで及ぶことを考え、アメリカの威力を見せ付けたかった。原爆がどれだけの殺傷能力があるのか、、、、端的に見れば、落としてみたかっただけでした。
たった1人の権力者の考えで、多くの犠牲を出す。これは軍備拡張を図っている現在の日本の姿と類似しています。ファシズムです。都合の悪いことは隠し、良いところだけ宣伝する。仮想敵国を作り、不安をあおる。
私たちはこうした宣伝を真に受けることなく、疑問を感じること、そうしてもしもそうなったときの長期的予想を具体的に立てて、自分たちの意見を世の中に訴えることが今最も求められているのではと思っております。
初めてのコメントでこんなに長々とすみません。
スウェーデンでは、特別支援学級というのは存在するのですか?日本の特別支援学級と体制は似ているのでしょうか?例えば、通常学級で出られそうな授業や給食は一緒にするとか、あとは通常学級で障害のために遅れ気味の子を取り出したりするのですか?
また、私はマルチエイジにも興味があります。マルチエイジの教育方を取っているスクールがあり、マルチエイジを受けたこともない私も教員として参加したいなって思っていますが、不安です。
基礎学力が本当についているのかどうか、、、もしも3年間で到達目標につかなかったら、どうするのかなと。
また、マルチエイジ教育は特別支援教育と似ていると思います。それは、個人の計画で行うこと。結局は先生の指示に従うわけですが、生徒がやれるところ、頑張ってほしいところは生徒それぞれ。だから、一斉授業ではなく、各個人の教材を用意して子供たちの発展度を見るところは似ていると思っています。
が、 どうでしょうか?
すみません、初対面の方にこんなに長く語ってしまって。。。。。
うざすぎましたよね。。。。
ダルマ子様
削除初めまして。コメントをありがとうございました。また、ブログを読んでいただき大変嬉しく思います。ありがとうございます。削除など、とんでもありません。
第2次世界大戦がどのようにスウェーデンで伝えられているかですが、概ねダルマ子さんが書かれているものであるように思います。私が働いている特別支援学校は、重度の障がいをもった生徒になるので、現在の若者たちに学校教育がどのように伝えているかという現状はイマイチわかりかねますが、新聞やニュースを通じて見聞きするものは、書かれていたものに通じるところが多くあります。スウェーデンは、アメリカなどからのテレビ番組をそのまま字幕をつけて流すものも多くあり、その影響もあるかとは思います。
スウェーデンでは、大戦中ドイツが原子力爆弾を保持しており、ゆくゆくどこかに投下されるのではないかという恐怖感があったとも聞いています。アメリカが日本に投下したことによって、自国への投下の危険性を免れたという話も聞いたことがあります。ダイナマイトを発明した国だけあって、原子力爆弾もかなり早い時期に開発に当たっており、アメリカが日本に原爆投下をしたことと終戦などの歴史、ロシアとの関係などにより、その開発をやめたということです。ただ、どんな理由をつけようとも、 原爆投下により多くの人の命が奪われたことが正しかったという意見を聞いたことはありません。
スウェーデンにも特別支援学級はあります。知的障害があると障がい判定が降りた子供達が通うことになる特別支援学校に加えて、特別支援学級があります。日本の特別支援学級と似ているかといわれると即答するのは難しいです。一応、数年前に知的障害のない生徒は全て普通学級でということでしたが、やはり難しいようで、ここ数年、様々な形の特別支援学級が増えてきています。生徒や学校によりますが、給食や音楽、体育などを親学級で行うというのはよく聞きます。
マルチエイジに関しては、そういう呼ばれ方をしているのだと知らなかったのですが、スウェーデンでは幼稚園では多いですが、小学校などでは田舎の学校や民営の学校などの一部をのぞき、少ないと思います。民営の学校の場合は考え方もあるとは思いますが、田舎の学校の場合は、人数が少ないので運営上の問題でという場合が多いように思います。マルチエイジと特別支援教育が似ているかという点については、私はそういう見方をしたことがないので、意見を控えさせていただきます。
全ての質問に答えられたかどうかわかりませんが、今後も、ぜひコメントをお時間が許せばください。日本の特別支援教育を離れて長いので、日本の現状に大変興味があります。よろしくお願いします。
早速のお返事をいただきまして、どうもありがとうございます。私の長々とした戦争の話にもご丁寧なコメントをいただき、大変にうれしく思います。
返信削除スウェーデンもきっと平和学習なるものがおこなわれていると思います。きっとドイツとの関係、ロシアからの侵攻。。。もし、日本に興味のある子ならば、東北震災による原発のことにも触れるのかもしれませんね。というか、触れてほしいです。
スウェーデンの特別支援教育では、支援学級も存在するのですね。日本では特別支援学級担任の他に市町村で雇用している支援員さんに通常学級の時のお世話をお願いしているこもあります。担任一人に対して複数の子供たちを一人一人のすべてを見まもりたいですが、自分の体がいくつもあってほしいと思う時がありました(笑い)
地方の少人数の学校でも、情緒学級と知的学級と分かれています。特別なだけかもしれませんが・・・
最近、学年の6%には特別支援に該当する子がいるので、特別支援学校が増加し、
養護学校から名前を特別支援学校としたことで、「知的障害」と「肢体不自由」が一緒になり、ややこしくなったように思います。
ある子供を特別支援学校を通わせた保護者の方から、特別支援学級のある学校へ行かせようと思ったが、「いじめ」「からかい」といった話を聞いて、特別支援学校を選んだそうです。
確かに、小学生の子供には障害への理解は難しいし、教師も説明するのも難しく思います。
ただ単に「かわいそう」とか思ってほしくない、一人の人として認めるには、教師自身のこれからの課題だなと思います。福祉充実と言われているスウェーデンでは、教員・子供たちはどう感じているのでしょうか。
また長くなってしましました。
これからもスウェーデンの教育のお話・お考えをたのしみにしております。
ダルマ子
ダルマ子様
削除返事をありがとうございました。そうですね。スウェーデンでも様々な形で平和学習が行われています。原子爆弾と平和学習というよりは、難民を多く受け入れている社会状況を受けた平和学習が行われているように感じます。もちろん原子力爆弾、そして、原子力発電に強い関心を持っており、よく話題になります。日本での原子力発電の再稼働は早速ニュースでとりあげられていました。
支援員さんの存在、今回帰国して知りました。雇用形態や仕事内容など、問題があるという話も聞きました。自分の体がいくつも。。。というところ、同感です。私もよく思います。こっちでは、教員の私にアシスタントがつき、学級運営をします。スウェーデン人のお姉さんがたを相手に、いかに自分の指導内容を伝えて、やってもらうか、私の大きな課題です。そんなとき、自分でできたらなあとも思います。
私も日本の情緒と知的に分けてある学級形態、こっちのごちゃまぜになれたせいか、不思議なんですよね。スウェーデンは、国土が広く、国民が少ないという国柄、障害名で分けてのクラス運営は不可能であったこともあり、障害名よりは、その子一人一人の状況でクラス分けなどをしている場合が多いので、日本の状況はそれはそれで大変だろうと察します。
障害に関わらず、一人一人をそのまま、その子供として個人を受け入れるというのが、スウェーデンにはあるように思います。個人主義であるのも関係しているとは思います。障害に関わらず、性や宗教、民族などありとあらゆる面での差別、いじめ、からかいなどを排除するように努力し、平等に対する意識を高めていくように教育が行われています。といっても、いじめは存在しますし、まだまだなんですけどね。
コメントありがとうございました。これからも宜しくお願いします。
Reikoさん、こんにちは!
返信削除以前、下記の記事でお世話になったムーミンです。
http://blog.goo.ne.jp/pedagogiskamagasinet/e/960a6cc8c751ffca5f924a583dcae051
あれから色々経て、特別支援学校に採用となり
ただいま実地で勉強中の日々です。
たまたま本を読んでいて、スウェーデンの視覚障害教育やリソースセンタービジョンストックホルムについて話がでてきたので
そういえば!と思い、久しぶりにブログにお邪魔しました。
当時は、私の生意気な意見を受け止めて頂き、
ありがとうございました。
Reikさんより率直に意見を頂き、感動したのを覚えています。
本当は、メッセージを送りたかったのですが
送り方がわからなかったので、特支に携わることができたことの報告を兼ねて、コメントさせて頂きました。
またこれからも、ブログに伺いにきます~!(^^)/
いきなり失礼しましたm(_ _)m
ムーミンさん、お久し振りです!そうですか、特別支援学校で働いて見えるのですが。合格おめでとうございます!思い出して、コメントをいただきありがとうございました。とても嬉しく思いました。
返信削除これからは、いろいろ情報交換していけたらと思います。ぜひ、また、コメントください。これからも引き続き宜しくお願いします。