2012年5月20日日曜日

スウェーデンの学校選択自由化が招いた悲劇 その2

 先ほどの「スウェーデンの学校選択自由化が招いた悲劇」の続きを書こうと思います。

 昨日のニュースで、これに関する興味深い内容を聞きました。新聞記事としては、まだ読んでいません。
 先ほどの学校選択自由化に伴い、いわゆる移民の多い地域に住んでいる子どもが、移民の少ない、スウェーデン人の多い地域の学校に通いだしました。
(予備知識ですが、スウェーデン、ストックホルムは、移民の多く住む地域とスウェーデン人が多く住む地域とはっきりと分かれています。)
 これによって、保護者は成績が伸びることを期待します。残念ながらどこが出した統計か覚えていないのですが、おそらく社会福祉関係の機関だと思います。ニュースによると、
子どもたちは成績が伸びるどころか、自分の持っているもの、おかれている状況を他の子ども比べて、精神的に不安定になり、結果的に成績は期待していたほど伸びない
傾向があるということでした。大変興味深い内容です。移民の多い地域から、登校時間に時間をかけて、わざわざその学校に通っているのに、そこにいる子どもと自分を比べて落ち込むなんて、かわいそうだと思ってしまいました。こうして、学校を変わる子どもの傾向として、頭がよくて感受性が強い子どもが多いのかなあとも考えてしまいます。
 お金のある裕福な家庭の子どもが多く住む、スウェーデン人の多く住む地域の子どもは、休みごとに外国にでかけたり、スキーにでかけたりと、比べる要素はたくさんあると思います。日本のように私立だから高い学費というのはスウェーデンではなく、学校は無料であるため、学校に通うことはできます。が、そうした「付属」部分にお金をかけられるか、かけられないかは、大きな差になってくるのでしょう。
 住む地域によって学校がきまっていると、住む地域の地価があるので、それなりに割り振られた家庭の子どもが付き合うことになってきます。そういうのを飛び越して学校を選び通っているのですから、仕方がないといえば仕方がないのでしょうが、精神的に落ち込む子どもがいるのは残念ですし、本来ならば、伸ばせた力がこれによって伸びなくなるというのは残念なように思います。
  
 それにしても、何でスウェーデンでこうした学校選択の自由化にいたったのだろうかと考えてみました。私が思いつくのは、
「できる子どもたちに適切な教育が施されてこなかったから」
かなあと思います。スウェーデンは、下を救う、すべての子どもに一定限度の教育を保障する教育をしています。そうすると、集団で教育をする学校では、どうしても下に目を向けられがちで、できる子達がその力を最大限に伸ばす教育を保障してこなかったのかもしれないと思います。そう考えると、現政府になってから、最初に打ち出された「エリート教育」も理解ができます。学校を自由に選択させることによって、こういった子どもたち、強いては親の不満を解消しようとしたのかもしれないと。このあたり、詳しく調べてみないと分からないので、また、夏に時間があれば調べてみようと思います。
おそらく、学校選択を自由化することによって、メリットもたくさんあったし、期待されたメリットもあったと思います。でも、スウェーデンという国の考え方や歴史からみると、選択を自由にしたことは、あまりよい方向に出なかったのかもしれないとも思います。
 今後は、おそらくこのテーマ、内容で野党側がかなりの意見をだしてくると想像でき、今後どうなるか大変興味深いところです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントをありがとうございます。