2011年5月29日日曜日

さぼった回数を成績に!!!

最近よく話題に上っているのがこちら。
授業をサボった回数を成績に載せる

というもの。こちら、日本の文部科学大臣にあたる人が、出した提案です。

ずっと、なんとなく考えていて、なんで、サボった回数なんだろうかって。

日本だと出席日数がのっていて、欠席日数ものっている場合が多いと思います。さして考えたこともないけど、そういうものだと思っていました。こっちでは、こういった情報は成績にはのっていません。が、うちの学校では、学期に一度行われるクラス会議で一応出席日数は確認されます。わたしの受け持ちくらいの子どもだと、自分で学校にくるかどうか決めている子はいないので、さぼったのどうだのというよりは、病気によっての欠席の多さを話し合うくらいです。

出席日数だと、ある授業だけサボったときにそれが表れないから、ではないかと。思うようになりました。
たとえば、数学の授業に出ていない生徒のサボった回数を明らかにすることで、だから、成績がよくないのだと示すのか。。。
学校にはくるんだけど、ある授業だけ出ないとか、ランチ食べにいくとかで、サボった場合、出席日数にしてしまうと目に見えない。そのために、サボった回数に。


今手元にないのですが、このさぼりの回数がすごいらしい。スウェーデンの教育が伸び悩んでいるひとつの要因といっても過言ではないほど、さぼりが多く、統計でもうなるほど。

が、批判多いんですよね。もちろん、この提案に対して。理由のひとつにうなずけるものが。

さぼりというのは、サボるという行為だけで、片付けられるものではなく、その裏にあるものが問題なのだと。多くの場合、ほかの多くの問題を抱えているために、勉強に集中できずに、さぼり、ほかのことをするのだと。

たとえば、家庭での問題が多くあり、両親が不和であったり離婚訴訟中であったりして、家に落ち着きがなく、学校に来ても集中できない、友達と寂しさを埋めようとして、授業をさぼる。などなど。

さぼるという行為を回数を成績に載せることによって、減らし教育を改善しようとするのは、間違いではないかというもの。


確かに一理ある。
 もうひとつ、、、、
スウェーデンの首相、フレドリック ラインフェルドの息子がブログに、
サボった回数がどうだかということで、成績が左右されるのは、平等ではないと。どれだけ、勉強ができるかで、成績はつけられるべきであると。

まあ、確かにこれも一理ある。どんなにサボっていても、勉強ができるのならば、よいのでは。というもの。そうかもねえ。
さぼることはよくないことであるが、成績に載せることよりも、今議論されているような、サボる回数が増える子どもに対する、支援援助を増やしていくことで、よりよい手出すをしていくほうがいいのではないかと思う。
今後も注目したい話題である。

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