2011年12月29日木曜日

スウェーデンの教育の歴史に残る年、2011年

今年も残りわずかとなりました。こちらのブログで、2011年ストックホルム3大ニュースというのを書き、こっちのブログでも2011年を振り返ってみようかと思いました。

 スウェーデンの教育の歴史を振り返るといくつか重要な年というのがあります。例えば、1994年とか1998年とか。この歴史に残る年となったのが、
今年2011年
であります。

何が起きたかって、たくさんあるので少しまとめていこうと思います。

新しい学校法がこの秋学期から、適用された。法律は7月から適用されているのですが、夏休みだったので、実際に効力を発揮し始めたのは、秋学期からです。
新しいカリキュラム、教育要領が小学校中学校で施行された。これによって、新しい成績のつけ方で今学期初めて成績がつきました。
幼稚園のカリキュラムも改定され、部分的に変わりました。
教員免許の申請が始まり、初めて教員免許の交付が行われました。
高校改革も行われ、新しいシステムになりました。


こんなにたくさんの初めてがあった年だったのです。こういったさまざまな変革があった年だったので、もちろん、教育界はものすごくいろんな問題を抱えていました。移行期間があったわけではないので、(一応事前に情報はもらっていましたし、研修もありましたが。)今後も混乱と問題は続くでしょう。これらの改革の成果はみえてくるのはまだまだ先のはなしですしね。

後もうひとつ、大きな出来事といえば、
里子に出されていた子どもたちがうけた被害に対する謝罪と賠償金の支払いが確定したこと。
でしょうね。これも長く新聞を騒がしたないようです。事情があって実の親が面倒をみれない子どもたちは、里子に出されます。その出された家庭で、ひどい目にあった時代があったスウェーデン。そういった被害を受けた子どもたちに(今は大人ですけどね。)対する社会的な謝罪がストックホルムの市庁舎で行われました。賠償金の話も出ては消え、でしたが、最終的に払われることも決定しました。こういったすでに恵まれない家庭に育った子供たちが次の被害をうけないようにしていくことはとても重要な社会の問題であり、責任でもあります。統計によれば、こういった複雑な家庭に育った子供たちが学校でうまくいかなくなる確立は、50%前後といわれています。二人に一人が学校教育でもうまくいかず、その後の人生でも思い荷物を背負って生きていくことになると。これに関して、学校や教師、大人ができることはたくさんあると思います。

こんな感じの2011年でした。来年はどんな年になるのでしょうか。
みなさん、よいお年をお迎えください。
来年も教育に関する情報を載せながら、いろんな方と交流できるのを楽しみにしております。

2011年12月17日土曜日

スウェーデンの教育の弱点とその未来

長かった秋学期も来週の3日間で終わります。スウェーデンの特別支援学校の教員として働き出して4年目になり、今学期はかなり余裕がありました。振り返っても、子どもたちの成長や発達が目に見え、満足感があります。

 さて、今日は、スウェーデンの教育の弱点という、なんとも大きな題で少し書きたいと思います。
 ここ数年、叫ばれているスウェーデンの教育の崩壊、新聞で教育関係の記事を目にしない日のほうがめずらしいほど、教育の今後について叫ばれています。新しく報道され、大きく取り上げられたのが、私立の学校が多額の利益を上げていること。これについては、また別で詳しく書こうと思います。ここまで、いろいろ言われるのですし、実際に働いていても目にしているのですから、スウェーデンの教育に問題が多くあることは事実です。その中でも特に今のスウェーデンの教育の大きな弱点だと思う点が、やはり、

くじびきのようなもんだ

という点です。???と思った方、いると思います。詳しく書くと、

まず、生まれた時点で子どもたちはくじ引きを引いている感じです。
どんな親のもとにうまれたのか、
その親はスウェーデン人なのか、外国人なのか。
そして、お父さんお母さんは、大学卒なのか、高卒なのか、もしくは、学校を出ていないのか。

といった感じで、これに続き、
スウェーデンのどこの地域に住んでいるのか、
どんな幼稚園にいったのか、
どんな小学校にいって、どんな先生が担任になったのか。
どんな高校にいったのか。。。。。

といったくじ引きとでもいえるようなこれらの条件により、その後の自分の教育が変わり、能力がかわり、人生が変わってしまいます。


日本人からすると、そんなの当たり前と思われる方、いるかもしれません。でも、こちら、スウェーデンでは、この点に関して、ものすごく理念というか考えが深くあり、教育の考え方に、

どの子どもも、親の能力や経済力などにかかわらず、平等に最大限の能力を伸ばす権利がある

という考えがあり、これに基づき、教育は無償になっており、学校教育も評価なども含めて全国的に平等であるべきであるという思想、発想に基づいて教育が成り立ってきていました。国の教育には、その大きな無限の力があると考えられているのです。しかし、1994年に出された前のカリキュラムが、

あまりにも不透明で、分かりにくく、
政府が、その分かりにくいカリキュラムにもかかわらず、根本の考え方を適切に示してこなかった

ために、(他にももちろん多くの要因はありますが。)上記のように、受け持った教員の能力によって大きく変わり、親の能力によって大きく変わるというような教育になってしまいました。これは、特別支援教育にかぎっても同様です。こういった話は、日本で教員をしていても大なり小なり耳にした話ですが、日本のように、かなりかっちりと枠があると、それでもそれなりのラインは保っていきます。教えるのは、免許を持った教員だけですし、教科書も検定があるなど、それがよいかは別として、枠があります。スウェーデンでは、ひどい話をすれば、教員が教育課程を受けていなかったり、学校に大きさによっては、教科に差がでたり、枠組み自体が問題になっていることもあり、その上、カリキュラムがあまりにも分かりにくく、何をどう教えるのか、到達度はどうするのかなどがものすごくあいまいになってしまっていました。
この94年のカリキュラムや変革に関する研究などは徐々に出てきている模様です。私が思うに、この流れで、学校の選択自由化が入り、親や子どもは、自分に合う、よりよい学校を選択し学校を変えていったっために、よりいっそう格差が広がったのではないかと。

じゃあ、スウェーデンの94年のカリキュラムは何を目指したのか。おそらく、私が受ける印象では、子どもたちの責任能力を伸ばし、選択の自由を取り入れ、自分で考えて問題を解決していく力を養う教育を目指したのではないかと。もちろん、その根本には、民主主義の考えをいれて。
残念ながら、この目指した能力は、ピサの国際的なあの統計では、出てこないものです。こちらの先生方がいわれることに、あのピサで分かる、図れる能力には偏りがあり、悲惨なのは、その図れる能力をスウェーデンはおろそかにしたという事実があるのだろうと思われます。要するに、知識、図れる知識を子どもに入れることを怠ったのではないかと。

今、スウェーデンの教育は大きな転換期にきており、これらの教育の弱点などが調査研究され、新しい形を模索し、作り上げていく過渡期にあります。私は、今後のスウェーデンの教育は決して悪いものではないだろうと予測しています。今までスウェーデンが培ってきた力は、けっして無駄ではなく、今の転換期に、フィンランドの教育をめざしたり、中国の教育を目指したりするのではなく、第3のスウェーデンの教育を作り上げていけば、おそらく、10年15年後には、新たなスウェーデンモデルが誕生するのではないかと思います。

この私の予想があたったかどうか分かるのは、私が定年退職するころだろうけど、少し気になる点がたくさんあるので、これから、ひっそりと研究していこうかと思っているところです。

2011年12月2日金曜日

スウェーデンから、Specialpedagogが消える?!

ものすごく久しぶりの更新です。この間、足を運んでくださった方、ありがとう。。体調をくずしており、なかなかパソコンに向かえずにいました。書きたいなあと思っていたことを少しずつあげていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

 さて、まずはこちら!
スウェーデンから、Specialpedagogが消える?!
です。これを理解するためには、スウェーデンの特殊教育のシステムを知る必要があります。ので、そちらからまず紹介したいと思います。
日本では、特別支援学校の教員になるための学科やコースなどがあり、そこを出ると教員になれます。このあたりは、日本の方は詳しいと思うのでこのくらいで。。。

こちらスウェーデンでは、特殊教育にかかわるためには、まず、教員にならないといけません。幼稚園教諭でもいいし、小学校でもいいし、学童保育の教員でもいいので、とにかく教育課程を終えていることが条件になります。その後、その分野で3年以上の職務経験をつみ、やっと特殊教育関連の資格をとる大学のコースに入れます。
現在のスウェーデンでは、その特殊教育関係の資格が2種類あります。
Specialpedagog
Speciallärare
です。
Specialpedagogは日本語で訳すならば、特殊教育専門家とでもなるのでしょうか。大学で専攻する場合には、障害全般を網羅し、現在の内容をみてみると多くの時間を話し合いの仕方やグループのまとめ方などといった、こちらで呼ばれる「Handledning」に多くの時間が割かれているようです。
Speciallärareのほうは、日本でいうような特別支援学校の先生に近く、現在では、数学専門かスウェーデン語専門の先生に分かれています。

どちらのコースも全日制の場合で1年半かけて資格をとります。

しかし、この二つの資格、分かりにくいんですよね。何がどうちがうのか。学校などが応募している場合はたいていどちらの資格でもいいとなっているし、実際に現場にも両方の資格が存在しています。そこで、出てきたのが、この分かりにくい2つの資格を統一しようという動き。今のところは、調査中でどうなるかわからないのですけど、来年の2月ごろには結果が出るようです。

方針としては、Speciallärareを残し、そこにいくつかの専攻を設けるようです。そうなると、Specialpedagogという仕事はなくなるんでしょうね。私もずっと前からどちらかの資格をとろうかと悩んでいたので、こうなると待っていて正解だったかもと思っています。まあ、タイミングが合わなかっただけといえばそうなんですけど。あとは、いきたいコースがなかったのと。。。

で、ちょっと裏話。スウェーデンの私が働いているような特別支援学校で働くための条件が、2015年から、幼稚園教諭をもとにしたSpeciallärareで、発達障害を専攻としていることになっています。でも、この先生になるためのコース、ここ数年存在していないんです。数年っていっても、同僚が言っていた話じゃあ、10年は存在していないとか。そんな資格を持った人がいる世代は、もう退職するような年代の方たちばかり。それで、現場では無理だろうという声が上がっています。これらの声に絡んで上記のような流れになったのではないかなあと思うのです。まあ、想像だけど、ぐちゃぐちゃで分かりにくい上に、その中で片方だけの資格をよしとしてしまえば、文句は出るわけで、今のところ、Specialpedagogでも、働けるだろうとはいわれているので、たいした問題ではないと思っていたけど、政府は、いろいろ考えている模様。。。こういう時期は、あまり決断を早まらず、情勢を伺うに尽きると思った私です。


最後に、付け足せば、この話が通って統一されても、また、何年かたったら、戻ってくるような気がするんですよね。Specialpedagog,,,歴史は繰り返される?!

スウェーデンの田舎から学校が消える

スウェーデンの学校制度にないもので、日本が優れていると思うのに、

どんな田舎の学校にでも、免許をもった有資格の教員がいること

があります。こちら、スウェーデンでは、2015年の秋から、教員免許を有する教員のみが成績をつけられるなどの法律が本格的に始動するにあたり、多くの田舎の学校が閉鎖されるという危機に立っています。今まで、ここを許してきたということが信じられないのですが、まあ、それは、何度も書いてきたことなのでおいておいて、2015年にはまだ、数年あるのですが、今から田舎の学校では、閉鎖の話が出ている学校もあるようです。理由は、それまでに、資格をもった教員を確保できない、現在の教員が資格を補充することができないなどの現実的な問題を抱えて、少数の田舎の学校(低学年の子どもを集めた学校である場合が多い)を近辺の学校と統廃合しようという話があるようです。これは、北のほうの学校であった話ですが、似たような話をちらほら聞きます。

この元には、教員免許以外にも、今回の法改正でいろいろと変わった点を補う経済的な予算がないこと、もともと少人数の学校を運営するのは予算がかさみ、多くの市では減らしたい傾向にあることなどなど、ほかの要因も加わっているようです。また、スウェーデンには、子どもが学校に通うまでにかかる時間や距離に関する決まりがないため、もしも、子どもが毎日通学に2時間半かかっても、それをとめることはできないということもあります。このあたり、日本にそういうことに関する法律があるかどうか分からないのですが、実際に自分の子どもが、毎日2時間半車の中ですごすというのは、親にとってあまり好ましいものではないようには思います。

これに関して、日本の教員採用制度を同僚に話したところ、確かにいい方法ではあるが、

やっぱり、自分でどの学校に勤めるか決めたい

とのこと。まあ、確かにそうだろうなあ、お国柄と思いました。こちらでも、配置換えや学校が変わることもあります。が、基本的には、採用された学校勤務になります。市の学校だと、採用された学校がどこであれ、市の職員となるため、その後の学校の状況によって違う市内の学校勤務になる場合もあります。また、前出の免許の関係で、今後配置転換が増えるだろうともいわれています。これは、たとえば、同じ市内である学校に数学の先生が複数いて隣の学校にはいない場合、希望を聞きながらだとは思うけれど、先生を入れ替えたりしていくことになるという指針をうちの市ではやんわりと聞かされました。

今後、このような展開によって、田舎の子どもたちが不自由な生活を送ることがないようにしてほしいなあと思ったのでした。

2011年11月19日土曜日

「優」が「不可」になるスウェーデンの成績

スウェーデンで、教育関係のニュースで、ここ数日話題に上っているのが「成績のつけ方」についてです。
 始まりは、学校検査局が行った国の統一テストの採点見直しをしたところ、担任が「優」とつけた成績が採点の見直しでは、「不可」になったという報道でした。
 ちょっと詳しく説明していこうと思います。
スウェーデンでは、子どもの能力を国中平等にみて成績をつけるために国が統一して行う「Nationella Prov」というのがあります。移民でこちらにやってきた方ならば、スウェーデン語クラスでの同様の試験を受けたことがあるかもしれません。同じような感じで、小学校3年生、6年生、9年生、高校などにおいて行われるテストです。

 このテストとともに生徒の成績がつけられることになっているのですが、MVGという日本での「優」にあたる成績をもらった9人のうち1人の成績が、検査局の採点では「不可」になるということがヨーテボリの新聞に載ったのです。
 これに加えて、2009年から2010年に62校の高校を対象に行った調査では、実に約半分がもともとついていた成績よりも低い成績になるということでした。

 この調査自体は新しいものですが、話自体は大して珍しいものではなく、毎年のように出されるものです。教師側の言い分としては、この国の統一テストだけで成績をつけるのではなく、普段の授業の様子や提出物の内容などを含めて総合的に判断するので、こうなるというものが多いです。
 また、スウェーデンは平等がすきなんだけど、教師が違うんだから、なかなか平等な同様な成績付け、評価は難しいのが現状であって、そういう面でも難しいと思うのです。

 その昔の相対評価に比べれば、今の絶対評価はまだいいとも思います。この話、ものすごくその後盛り上がって、今では、平等な成績付けはできるのかできないのか、といったような問題にも発展し、どうやって今後の改革がすすむのかまで、話は進んでいます。今後の流れをまた書きたいと思います。

2011年11月11日金曜日

スウェーデン青年の大きな不満

先日いただいたコメントの中に書かれていた内容が、興味深いものだったので、私が思うところを書きたいと思います。コメントを下さったパンダ民さん、ありがとう!
 コメントの内容はこちら。書き込まれた記事はこちらですので、興味のある方はどうぞ!
こちらのお話と関連性があるかは分かりませんが、あるバラエティ番組で街角インタビューされたスウェーデン人の青年が「もう絶対国には戻りたくない!」と個人的理由というより、自国への不満爆発といった感じで答えていました。
北欧は福祉や教育など国民をケアする制度は万全だというイメージがあるので、問題は当然あるにしても、こういった大きな不満感は意外な感じがしたのですが、スウェーデンではまた事情が違うのでしょうか?
質問は来日&滞在理由などの軽いものでした。レポーターが絶句してしまった為、詳細は分かりませんが、気になって思わず書き込んでしまいました。

 この北欧に対するイメージは、一般的なものであると思います。北欧といっても、各国によって事情が大きく違います。私はスウェーデンのことしかわからないので、ここからは、スウェーデンということで理解していただけるとよいかと思います。私から見るスウェーデンの若者たちは、格差が広がっており、そのおかれた状況によっては、大きな不満がたまっても仕方がないかなあと思います。ニュースなどでよく取り上げられる問題がこちら。
若者の失業率の高さ
若いということは、経験があまりないということですが、経験重視、労働者の権利が強いスウェーデンでは、若者はなかなか仕事が見つかりません。大学進学率が50%をきっているスウェーデンでは、若者の半分以上が高校卒業後に仕事を探していることになるのですが、15歳から24歳までの若者の失業率は実に25%を超えています。4人に1人が仕事が見つからない状態ということで、かなり深刻です。
昨日も若者が「活動資金」というような名目のお金を政府からもらっている%がものすごく増えていると。これは、老人の年金のようなお金で、若者の年金と考えてもいいと思う。そうなると、そうやって「働かない若者」「働けない若者」が増えている現状をどうするかということが問題になるわけで、なんとか、若者を税金をもらう側から、払う側にしようという対策が立てられるようです。
日本とは異なり、基本的に18になれば、成人とみなされ、できるならば、独り立ちして一人で暮らしたい若者なんですが、実際には仕事がなければ、アパートも借りられず、不満はたまっていくばかり。これが大きな要因で次々と問題が。。。たとえば、
高い税金
仕事がない、あってもあまり高いお給料ではない、もしくは、短期の職業であったり、パーセンテージの低い仕事であったり。。。それでも、高い税金からは逃れられません。お給料の約30%が税金になり、また、外で食事をすれば、25%、買い物をすれば、約12%。税金だらけです。
悪い住宅事情
 仕事がなければ、お金がないということでアパートを借りることも難しいです。それに加えて、ストックホルムなどの都市では若者向けの安いアパートやワンルームのアパートなどが不足しており、自立することが難しいのが現状です。学生であっても、アパートがないために、実家にすんでいたり、間借りをしたりして苦労している若者が大勢います。

 このインタビューに答えた青年の本当のところはわからないけれど、私から見てもスウェーデンの若者たちの置かれている状況は満足のいくものではないように思います。自立を促される個人社会で、その自立が成り立たない場合、その不満はものすごいものがあるんではないかと思っています。日本やほかの国も似たものかもしれないなあと思いつつ、また、若いころは多少なりとも自国を批判的にみるものかもしれないなあとも思いつつ、書いています。

 北欧スウェーデンにあった福祉や教育に対するイメージはおそらく、70年代から80年代あたりのもので、その後、移民の増加にともない縮小の限りを尽くしている現在では、スウェーデン人たちでさえ、古きよき時代を思うような目でみているので、今となっては、そんなイメージはないと思ってもらったほうがいいと思うのです。税金で運営されている施設などは、削減削減をたどりひどいものです。連日ニュースをにぎわしているのが、ストックホルム近郊にある老人ホームの話。障害者の施設にいたっても同様。これからどうなるんだろうかと思うばかりです。

2011年11月2日水曜日

社会性と感情のコントロールを訓練する・・・SET

今日は、仕事を13時半に終え、秋休みに入りました。木曜日と金曜日はお休みなので、ゆっくりしようかなあと思っています。

 月曜日にあった講演会の内容が大変興味深かったので、紹介したいと思います。

 近年、欧米社会では、若者たちの精神的な健康状態がよくないことが問題になっています。ここ、スウェーデンでも、10代の若者たちの精神的な不健康がよく取り上げられています。これに対応するためには、小学校の低学年から、早ければ早いほどいいといわれています。その中のひとつの方法としてここ数年用いられているのが、こちら。

SET Social och Emotionell Träning
 社会性と感情のコントロールの訓練

 話の始めは、危険因子と保護因子について。危険因子とは、たとえば、親がアルコール中毒だとか、うつ状態だとか、そういった子どもが危険に陥る可能性のある内容のことを指し、その数が多ければ多いほど、子どもの精神状態が悪くなる可能性が高いというもの。これに反し、保護因子とは、そういった危険から子どもを守ることができる内容を指し、たとえば、よい先生に会うとか、掃除のおばちゃんと親しくなってとか、近所にいい兄ちゃんがいるとかなどです。学校や先生は、この保護因子になれる可能性が高く、また、成績がいいとか、勉強で落ちこぼれないといったことでも保護因子になるため、先生の持つ役割は大変大きいという話でした。

 このあたりの話がとてもスウェーデンぽいと思いました。理由は、スウェーデンが科学的に証明されることにかなり重きをおいており、日本では当たり前のような話でもえんえんと数字を用いて話がされます。こういう風だから、教育分野の研究が遅れるんだろうなあと想像しつつ、でも、科学的に証明されることは大変いいことでもあるので、じっと聞いていました。

 予断ですが、同僚の何人かは、このあたりが退屈で脱落した方も。。。仕方がないですよね。夜遅かったし。

 若者の精神状態が健康でないという事実の中に、アルコールの摂取に関する問題があります。スウェーデンでは、10人に1人が11歳からお酒を飲んでいるということで、その摂取量はかなりなものです。これは、どちらかというと、裕福な地域の問題であるようで、若者のアルコール問題が深刻なのは、ストックホルムでも北のほうが多いとか。。。ちなみに南で多いのはうちの市。中流家庭がおおいからだそうですが。。。

 こういったアルコール、喫煙などに関する情報を与えていくのも学校の役目であり、そういう内容かなとおもっていたら、このSETというのは、社会性をみにつけるために、自分の感情のコントロール方法を、学校で学んでいくというものでした。
 子どもたちには、最低週1回の授業がトレーニングとして行われ、内容はたとえば、グループワークであったり、ロールプレイであったりするようです。このトレーニングをするために、教員がトレーニングを受け、コーチがついて行われるというもので、大変面白い内容でした。分野がいろいろあり、たとえば、問題解決能力とか、感情のコントロール方法とかあり、ひとつひとつの分野を何回かに分けてトレーニングし、子どもたちがちいさいうちに身につけさせるというものです。多くの障害が社会性がないことや感情のコントロールが未熟なことが含まれ問題になるので、こういったトレーニングが有効であるように思います。
 また、理解して覚えることもあれば、経験してやってみて覚えることもあるので、そういう面でもこういった感情や社会性をトレーニングするのは大変有効であるように思います。

 この内容ではどんなのかわかってもらうのは難しいかなとも思いつつ、日本にもあるのかしら、こういうの。ないのなら、紹介してもいいなあと思えるような内容でした。

2011年10月29日土曜日

先生の労働環境の悪化

数日前の新聞に先生の労働環境が厳しくなってきているという話がのっていました。ここ数年の教育改革の流れで、スウェーデンの先生たちも日本の先生と同様に書類などの事務仕事が増えているのに、ほかの仕事が減らされておらず、労働環境が悪くなっているということでした。

 記事の中に、現役の先生の話が出ていたのですが、

このまま、仕事が増加し続ければ、教員という仕事を続けていくかどうか考えなくていけない

と、切実な言葉が語られていました。これに関して、私も同感。日本で教員していたときも、その仕事量の多さと自分の性格を考えると長く続けるのは難しいのではないかと思いました。今は、仕事の量というよりも、肉体的な部分で今の仕事を考えるときがあります。私の場合、重度の障害児を教えているので、いくらリフトがあるといっても、持ち上げたり、移動させたりと、体力的な部分が多く、体がしっかりしていないとできません。腰をいためて違う仕事に変わっていく同僚もいます。そういう部分を考えると今後、仕事が増え続け、予算が削減されていくと、この仕事を続けていくのが難しいのではないかと思うときもあります。今できることとして、筋力トレーニングに励んではいますけどね。

 仕事の量に話を戻すと、成績や評価に関する仕事が増えてきたように思います。このあたりは、今まであいまいだったことに加えて、スウェーデンで成績が出される年齢が遅いのもあり、ここ数年の改正で、評価をしっかりするということになった部分を負担に感じている先生が多いようです。評価して当たり前じゃないかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、スウェーデンの評価は日本の評価よりもきっちりしているかなあと思います。といっても、今の日本の評価のあり方がよくわからないので比べられないんですけどね。

 単元ごとに授業計画を立て、そこに評価の仕方や目標などを書きます。それを元に評価をしていくのですけど、このあたりが今まであまりしっかりと強調されてこなかったので、ここに来てこういった文書作成や評価に戸惑う先生が多くいます。日本のように教科書がそれに対応しているような場合はまだいいのですが、そのあたりもまだまだ未開発なスウェーデンでは、各先生や学校によって大きく違うように思います。結局、先生の性格によるというか、しっかりやっていきたいような先生は仕事がたくさん増えてしまい、上記のような先生のコメントになってくるようにも思います。適当にやっている先生たちにとっては、あんまり関係ないのかもしれないなあとも思いつつ。

 今学期からカリキュラムが変わったこともあり、今までのものを回して使えないというのもあるのかもしれません。私も何度もカリキュラムに目を通し、前と違う部分などを確認しつつ、授業計画を立てているので、慣れるまではやっぱり、何でも大変です。

 労働環境が悪くなって、よりいっそう多くの人が教師を辞めていくとどうなるんだろうかと思いつつ、まあ、そんなにすぐにはならないだろうからいいかなあとおも思いつつ。。。

 秋休みなので、ゆっくりしたいと思います。

2011年10月7日金曜日

先生のコーチング

10年前くらいになるでしょうか、「コーチング」が有名になったのは。。。今ではすっかり定着していますよね。

 このコーチング、ストックホルム市でこの秋から教員に用いられることになったそうです。
3年間のプロジェクト8名の教員がストックホルム市に雇われました。この8名の教員が、ストックホルム市の教員をコーチングするというのです。概要は以下のようです。

教科は、スウェーデン語、第2言語としてのスウェーデン語、数学、自然科学系の教科、英語。
コーチングをする8名の教員は、週の2日間を自分の学校で普通に働き、2日間教員をコーチングし、1日は研修日として働く。
コーチングされる教員は、希望制で義務ではない。
コーチングする教員は2名一組で学校を周り、6週間にわたって、教員や教員集団をサポートする。

 このコーチング制度悪くないとわたしは思います。日本での教員生活中に年に数回必ず教育主事の訪問や研究会などがあり、指導方法や授業のあり方について学ぶ機会がありました。でも、こちらの学校ではめったにありません。今年で教員4年目ですが、あったのは、昨年1回。1日教育検査局のほうから、検査がはいりました。でも、この場合は、授業を向上させるような研究会のような目的ではなく、学校法などで定められているように学校が運営されているかがみられるものです。そうなると少し意味合いが違うように思います。

 ただ、コーチングはあくまでも希望する教員に対してのようなので、コーチングを受けてもよいと思うような教員はたいてい謙虚で前向きなような気が・・・そうすると、本当に必要な教員は受けないような気も・・・ ちょっと意地悪ですけど、そう思いました。

 また、このようなコーチングをする側の教員は、ある意味キャリアを教員として積んでいくことにもなるので、その点でも肯定的であるとも思います。もしも、成果が見られるようであれば、さらに教員が増員され、プロジェクトも延長されるようです。今後が楽しみなプロジェクトです。

2011年9月22日木曜日

スウェーデンの来年の予算について思うこと

先日、スウェーデンの来年の予算が出ましたね。新聞でもニュースでも大きく取り上げられていました。私は日本ですんでいたときよりも、スウェーデンに来てからのほうが予算について興味を持つようになりました。これって、税金だという気持ちが強いからでしょうか。

 スウェーデンの大蔵省のトップは、Anders Borgできる人」として名が高い。首相の片腕としてスウェーデンの経済を支えている人物だろうと思う。今回の予算案は、今日の欧米社会、EU内にある経済的不安が大きく影響し、節約型の予算がたったようです。少し項目ごとに私が気になった点を見ていくと、

医療関係
 今まで年間の医療費は900krだったのが、1100krになります。これは大きいかなあ。200krといえどもって感じです。薬の年間最高限度額もあがり、1800krから2200krになります。
 私はこの制度を活用してきたので、ちょっと残念。子どものいない共働きの私たちが唯一税金の恩恵を受けているなあと感じていたのですけどね。まあ、物価が上がるんだから仕方がないとしていきましょう。ちなみに、私は、普通に薬局で買える薬も医者から出してもらっていました。全部ではないですけど。そうすると、薬の最高限度額に加わりやすくなるんですよね。いろいろ事情があって、病院通いをしていた私に活用価値がありました。今年は元気に暮らせるかな。

レストランの税金
 これはかなり大きくニュースで取り上げられていました。外食すると、食べたものの割には値段が高いと感じるこちら、スウェーデン。食文化が日本ほど発達していないのもありますが、税金が高いのも大きな理由。この税金が半分になる模様。私がラジオで聞いた理由が面白いなあと思いました。それは、
「スパーで、レンジで暖めるだけの食事を買うと税金は約12%。同じものをレストランで食べると税金は25%。この不公平さをなくし。。。」
というもの。そうか、そういう風に考えればいいのかと思ってしまいました。この税金が下がることによる効果は不明といわれており、狙っている効果は、これによって外食の値段が下がるわけなので、外食する人が増え、レストランでの雇用が促進され、、、見たいな感じなんですが、心配されているのは、値段が下がることもなく、レストラン経営者がもうけるだけというパターン。そうなるとこれは全く無駄だとも懸念されています。

教育関係
 興味の高いところです。もう前に書きましたが、数学教師たちの研修にかなりのお金が投入される予定です。そのほかにも、教師たちのキャリアを積む方法を確立するなどの対策にお金が使われる予定です。

インフラ関係
 もうこれは、避けては通れないところだったんでしょう。かなりのお金が鉄道などに投入されます。スウェーデンの鉄道は信用できなくなってもう何年もたつので、環境対策も含めて必要だろうなあ。


このほかにも環境対策、自衛隊関係、住宅関係などたくさんあるんですけど、このあたりで、やめておこうと思います。今回の予算案でもやはり「働いていない人」たちは、そんなにお金が入らないので大変だとありました。働いていない人たちとは、失業中の人、病休中の人、老人、学生などを指します。こういった人たちは、昔のスウェーデンならば、社会福祉制度の恩恵をたくさん受けてきたらしいのですが、現政府になってからは、働く人たちの税金が減らされ、働いていない人たちへの対策が厳しくなりました。このあたりは、今回の予算案でもかわらず、そういった人たちに目立った増税はされていません。これに関する批判は取り上げられています。
 もちろん、失業対策や住宅補助などの予算はあるんですけど、目玉となっていた老人の税率が下がるというのは先送りしたようですね。個人的には、新聞にあったように、老人だけはかわいそうかなあとも。老人の多くは昔は働いていたんだしなあとも。同情してしまいました。

 学生に関しては、苦学生的なイメージがあるので、多少は仕方がないかとも。あんまり社会福祉制度整えて、学生を10年とか続ける人が増えてもねえ。。。学生の住宅難は対策強化が必要だと思うけどね。

 というのが、私の感想でした。それにしても、学校、今年に入ってものすごく予算しめられたんだけど。。。お金ないからだめっていうのが、最近の会議では毎回でるくらい。私が今の学校に変わったころはお金あったんだけどねえ。おかしいねえ。

2011年9月16日金曜日

スウェーデン学校改革ー新たなる案

昨日、政府が2億1600万円の税金を学校改革に投入すると発表しました。期間は2012年。
 スウェーデンの学校改革は引き続き行われており、2015年に教員免許などが本格的に動き出すころに合わせて、お金がどんどん投入されていきます。

 今週の水曜日には、スウェーデン中のあらゆる場所で、教師のお給料や地位を上げろというデモが行われました。これ、切実なんです。おそらく、2015年に教員免許制度が本格始動始まるころには、教員不足で大変なことになるだろうと予測されるスウェーデン。教員の地位は落ちるところまで落ちているので、今ここで立て直さないと、大変なことに。
 この問題を大きく受け止めている組合、なんとかしようと必死です。とりあえず、教員のお給料を10,000KRあげようと努力しています。1年ではなく、もちろんここ10年で。ま、この問題は何度も書いてきたし、根が深いのでこのあたりでやめて、今回政府が出してきた学校改革について書こうと思います。

1.教員免許をもっているけど、実際に教えている教科の免許はもっていない教師のために、そういった教員が不足している教科の免許を取れるように支援していく。

今までがいい加減だったので、多くの学校、とくに上の学年になればなるほど、無免許で教えている先生が多いので、それらの先生の中で、特に教員免許は持っている先生に対する援助をしていく模様。
こういった現役の教師を支援していくのは、基本だと思うのでいいと思う。今がんばっている先生方を有効に活用しない限りは、スウェーデンの教育は、よりいっそう問題をかかるだろう。。。

2.教員がこの職業でキャリアをつめるようにしていく。
これも大切だろうなあ。。。ここスウェーデンでは、キャリアを積むため、お給料をよくするために、何年かでキャリアアップを図っていくことが多いのですけど、これが、教員の場合あまりにも狭い。となると、少し教員をした人材が、全くほかの分野に流れてしまったりして、もったいないため、教員が教員としてキャリアをつめるようにしていくことはよいことだと思う。

 実際の内容としては、
コミューンにお金が出る。これによって、教員のお給料をあげる。
講師の再導入。この講師とは、(lektor)ある教科を研究していて、エキスパートとなる人。
教員の中に、たとえば、まあ、上手な先生に、教科担当の教師や、ほかの先生を指導する教員などをもうける

こんな感じで、教員の中に差をつけて、キャリアの道をつくることによって、教員がキャリアをもて、また、それによって、お給料もあげていくことができるというのは、よいのではないかと思う。

3.幼稚園教諭とその責任者に対する研修を増やす。特に、「特別な配慮を必要とする子ども」と「活動の成果と評価」の内容を重視していく。

幼稚園教諭の不足は、学校教諭の不足以上の問題で、今後どのように補っていくのかまったく先が見えない。(逆に言えば、この分野で働きたい人は、ものすごく可能性がある。。。)幼稚園教諭の重要性を改善して職業の魅力を引き立てていかないと、、、ああ、スウェーデンの子どもたちの未来はあぶないかもねえ。。。

4.職業科の教員に「プラオ」(実習)を設ける。その職業教科での現場実習を教員に設けることで、教員の知識などを新たなものにしていく。

これもいい案ですよね。

2012年から2015年にかけて、行われるスウェーデンの学校改革。多額のお金が投入されます。有効に使われ、なんとか、スウェーデンの学校が変わっていくことをと思っています。

2011年9月11日日曜日

学校を訴える親が増えた

スウェーデンには、Skolinspektionという政府機関があり、(直訳すると、学校検査局とでもなるのでしょうか)、学校に関することを訴えることができます。

 この訴えの件数がものすごく増えているそうです。件数をみていくと、
2003年 949件
2006年 1046件
2009年 1542件 半年では、764件
2010年 2260件 半年では、1357件
2011年 半年分で 1386件

ということです。これから見ても、2年前に比べて半年の件数を比べると、2009年が764件2011年ではすでに1386件と倍に増えています。

うちの学校でも、校長と副校長が訴えられた内容を検証するために奔走する姿がたまに見られます。特別支援学校のほうではあまりないのですが、小学校のほうではよくあります。また、実際に訴えられなくても、「訴えるぞ」みたいな話が出てくることもあります。

親の影響力が強くなり、子どもの教育に関心を持つのは大変よいことで、こうした関心が学校や教育の質を向上させていくのは事実です。なので、これ自体が悪いとは思いません。

しかし、スウェーデンの状況は頭を抱える部分があります。

ここで、少し基礎知識を。スウェーデンでは、学校選択を自由化しています。これが問題を引き起こしている部分があるのです。学校選択といっても、選べるのは、割と大き目の町に住んでいる子供たちのみで、田舎に住んでいれば、そんなに選べる学校があるわけではありません。これに関してブログにも以前かいているので、参照を。
何で、これが問題かというと、何か問題がおきれば、学校を変わる子どもと、学校を変える親が多いのです。このため、教員は、親が自分の子どものための授業を買うように授業を生産するようになってきているのです
その昔は、親が参加して学校の問題について話し合う機会があり、まあ、保護者会のようなものです。それにより、みんなでよりよい学校にしていくことができたのですが、今では、何か問題があれば、「じゃあ、学校変わります。」というような事態が。。。これでは、子どもによってもよくないし、学校にとってもよくないし、教師にとってもストレスです。

スウェーデンにも、荒れている、落ち着きのないクラスというのは、数多く存在します。たまたまそんなクラスを担任することになり、がんばってやっていても、何かしら問題がおきます。そんなときに、親から子どもの前で怒鳴られたり、校長に訴えられたり、果ては検査局に訴えられたり。。。親からの信頼をなくし、親が毎日教室の後ろに立って授業を見ているなど、そんな話もないわけではありません。

親が熱心なのはよいのですが、間違った方向に進めば問題です。それに、やはり、教師に対する敬意があってしかるべきであります。無関心な親よりは熱心な親のほうがいいですけど、バランスが大事なようにも思います。

2011年9月5日月曜日

スウェーデンの数学教育が伸びない理由

スウェーデンの数学教育に多くの予算がかけられました。先日のニュースや新聞で大きく取り上げられていましたので、ご存知の方も多いかと思います。

 スウェーデンの数学教育というと、私が知っている限り、あれではだめだろうなあというものでした。簡単に説明すると、
自主学習型の数学教育
といえます。教科書があり、それを個人でこなしていくという形の授業が主流で、自主学習といえば聞こえがいいが、数年で子どもたちの間の能力の差はものすごく広がってしまいます。たいていの教科書が、数学Aから始まり、B,C,Dとあがっていくのですが、同じクラスにAの教科書の子どもとDの教科書の子どもがいたりして、傍目に見ても大変だろうと思われる授業が展開されていたりします。
ただ、ここ数年数学能力の低下について大きく取り上げられ、また、スウェーデンの教育は、最低限度を教える形をとっているので、数学教育のあり方も徐々に見直され、少人数であったりするなど、多少の変化は見受けます。
教える側としては、この自主学習的な教科書主導の教え方だと、分かりませんと10人に手を挙げられたら最後で、授業は成り立たなくなるので、私は、あまり好きではありません。また、一度つまずくとその部分で数学が嫌いになってしまうのもネックだと思います。

これらの数学教育のあり方の影にあるのが、やはり、資格を持っていない先生が多いことが原因ではないかと私は個人的に思っています。教育法だとか教授法だとか教育実習だとか、教育課程ならではのものを学んでいない先生が数学を教えるとなると、それにあった方法になってしまうのではないかと。
これを裏付けるような恐ろしい数字が新聞(SVD20110830)に載っていました。

2005年の統計ですが、
高校の数学教師の有資格者(免許あり。)率は、35%
6年生から10年生まででは、          40%
1年生から5年生まででは、           64%

これ、すごいかも。と思いました。子どもの年齢が高くなると資格者率が減っていくのは、おそらく、大学の理数系を出た人たちが、教育法などをあまり気にしなくてもいい若者相手に教えている結果かなと勝手に想像しています。
資格がないから、悪い先生とはいいませんが、それでも、教育方法などを学んで実習を受け、それに興味を持つ方ともたない方とでは、子供たちへの接し方、教え方などかわってくるのではないかと思います。

で、今回の予算ですが、かなりの額が投入されるようで、予算では、13億から20億投入される模様です。(計算あっているといいのですけど、、、)

この詳しい使い道は、おそらく教員組合の新聞が届くともっと分かるかなあと思うのですが、ざっと新聞から拾うと、
1.インターネットを通じて、ウェブ上での研修みたいなもの?
2.先生同士お互いの授業を見合っての研究(日本の研究会のようなもの?)
3.学校に1人スパーバイザー的な人をもうけ、その人が研修担当?になる?
4.大学で学ぶための補助

など、出ていました。ただ、組合の方の意見で、「そうか、そこまでおちているのか、」と思ったのが、2番と3番は、おそらく無理だろうと。指導にあたれる資格を持った数学教師の人数が足りないので、うまくまわらないということらしい。なので、4番から始めて資格をもった数学教師を生み出していく必要があると。

今後も気になる話題です。この成果がでるのは、恐らく10年先とかなので、気の長い話ですが、教育ってそういうもんでもあるんでしょうね。で、今日もうちの学校の組合関係の先生が、奔走していました。教員の給料を上げて、地位を上げないとなり手がいなくなってたいへんなことになると。これに関して、マニフェストするそうです。なんか書いてくれと、はがきを渡されました。

数学といえば、今回うちのクラスでは、数学をテーマに取り組む予定です。どんなふうにやっていくか、いまだ構想中ですが、楽しみです。

2011年8月26日金曜日

スウェーデンで行われているいじめ対策

今週は、夏休みが終わり子どもたちが元気に学校に戻ってきたので、本当にあわただしい1週間でした。そんな中、昨日も今日もちゃんとジムに行って、トレーニングしてきました。すばらしい。

 先週の金曜日と比べるとそれほど疲れていないので、まあ、体は少しずつ慣れてきているんでしょうね。でも、いろいろ溜め込んでいた愚痴、結局今日相手の方にぶつけてみました。「いらいらするんですけど」ってね。誤解だった部分もあったけど、やっぱり、いっていることにつじつまが合わないような気がします。まあ、一応思っていることは伝えたし、私ができないことは伝えたので、スウェーデン語でよくいう、「Sova på saken」です。時間を置いてみようって感じの言葉で、直訳するなら、「ことを寝かせとけ」みたいな感じです。すぐに、結論が出ないようなものはみんなこの言葉で片付け、もう一度話題に上がれば、意味があったことで、あがらない場合もあります。

 さて、いじめに関する話を少し前に書いたのですが、それに関して、もう少し詳しく書こうと思います。
 スウェーデンでもいじめがあるという話をしました。スウェーデン語講座ではないのですが、基本用語から。

いじめは、Mobbning
差別は、Diskriminering
不平等な扱いは、Särbehandling
嫌がらせは、Trakassering


 日本の方にイメージがわきやすいように、「いじめ」と書くんですけど、スウェーデンでは、いじめを含め、嫌がらせや差別、(これには、人種差別や男女差別などが含まれます。)果てまたは、不平等な扱いなど、すべてが含まれます。基本的な考え方は、日本と同様だと思うのですが、
「本人がいやだと感じるものすべて」
 
「ほかの人と同等に扱われていない」
 ということで、いじめや差別としてとらえます。

 で、これらすべてのことを予防し、発生した場合にいかに対応するかを記したものが、各学校にあり、それを、
 Likabehandlingsplan(平等対策計画とでも訳しましょうか。。。と今まで読んでいたのですが、今学期突然、名前が変わりました!よくあることだけど、みんなぽかーんとしてきいていました。今度の名前は、

Planen mot diskriminering och särbehandling(差別と不平等な扱いに対する計画)

といいます。名前が具体的になったんですよね。きっと。それが目的だったんだよね。予断ですが、今日、私は職場で前の計画書の名前を新しい名前に書き直すという仕事をしていました。で、ずっと内容を読んで確認し、新しい名前と内容を付け足しました。

 この秋から施行されている、新しい学校方では、この計画書を作成し、そこに実際に起きた場合の対処法とこれらが起こらないように防ぐ方法について書いておくことを義務付けています。

 ちなみに、この計画書で私がスウェーデンらしいと思うのは、明確に、すべての人という態度をとっていることです。これは、児童生徒のみではなく、保護者、職員すべてを含めて、いかなる差別も行わないというものです。また、職員同士や職員に対する差別の場合は、即校長にまわり、大人と大人ということで、上のものが対応することになります。このあたり、私のような背景の教員にとっては、安心して働ける環境であり、心強いばかりです。


 このあたりが、スウェーデンのいじめの対策の基盤といえると思います。しかし、これができたのは、そんなに昔ではなく、恐らく5-8年ほど前から始まり、ちょうど私が幼稚園で働いていたころ、(5年ほど前)幼稚園でこの計画書の作成にかかわったし、今の学校も作成グループが残っていて、しっかりしたのができたのは、私が働きだしたころなので、そんな古い話ではないですね。今後、いかにこういった計画書が有効に使われ、差別などが減っていくか、大変興味深いところです。

2011年8月20日土曜日

スウェーデンにもあるいじめ

1週間が終わり、土曜日の朝です。2ヶ月働かないということは、こういうことなんだと実感した、週末。足が痛い。。。体が痛い。。。だらだらすごす休みと違い、いくらスウェーデンの仕事はじめといっても、研修会に会議、会議で、じっと座って話し合いが続き、体はやっぱり、慣れていないようです。

 今週の初めの会議で、校長副校長の話の内容で印象的だったのが、こちら。

「うちの市の違う地域で争われていたいじめの件は、結局損害賠償を払うことになった。理由は、きちんと、記録されていないため。記録の内容も、その生徒がもっとしっかりするべきだなと、生徒にむけたものであり、学校側がどうするかが記載されていない。」

という内容。これは、いじめがなかったとかそういうことではなく、スウェーデンでは、きちんと学校がいじめに対して対応していたということが立証されると、損害賠償はでないことになっているので、裁判などになった場合に、その記録文書によって変わってくるのです。これは、それに関する校長の言葉であり、この部分に関して集中した言葉だと了承ください。
予断ですが、私の働いているような特別支援学校ではいじめというのの存在形式がほかの学校とは違うので、ふーんときいていることが多いのですが、小学校もくっついているので、そちらでは、よくある話であり、とても重要な部分です。


学校法が変わり、施行されてから初めての年度になることもあり、それでかなあと思っていたのですが、どうもそれだけではないようだと気がつきました。なぜならば、今週の新聞など、ものすごくいじめに関する内容が多い。

 ざっと読んだ中で印象的だったのが、いじめにあった11歳の女の子の話。
いじめられているにもかかわらず、学校側はそれを彼女が自閉症かも知れないからという理由をくっつけ、診断検査まで行ったが、結局彼女は自閉症ではなかった。というもの。

ひどい話。いじめられた子どもは、まわりの大人からも支援や援助ではなく2次的ないじめを受けているこの現状。


 スウェーデンでは、いじめや差別に対する対応計画書みたいなものがあり、いじめが発覚した時点から、この計画書にそって、私たち教員は動きます。それらの文書や個人の記録を書く際に気をつけることは、

いじめられている子どもをどうこうする、変えるのではなく、私たちが学校で何をできるか何をしていくかについて書く

というもので、それにそって、ひとつひとつ対応していくことが重要だということでした。詳しく書くならば、いじめられている子の性格が悪いからだとか、自閉的な傾向があるだとか、そういったことでは解決にならず、教師は教室で子供たちにこういう援助をしたとか、学校ではこうした、など、私たちが何をしていくか、したかが重要であると。

こうした文書がしっかりと残っている場合、また、学校側が手立てをうっていた場合は、裁判になっても損害賠償をとわれることはありません。私たち働いているほうからいうと、こういった記録文書は自分たちの身を守るための文書にもなるため、しっかりと書いておく必要があります。
また、このいじめなどに対する計画書って、ものすごく時間をかけて作っており、全職員がしっていないといけないので、これを活用していけば、いじめを少しずつなくしていくようなきっかけにはなりえると思います。
新聞などでは、こうした対応の対処期間を定めるべきだという声もあります。いじめに関して、まだまだ、いろいろあるので、少しずつ紹介していきたいと思います。

2011年7月6日水曜日

教育効果があがらない理由 in Sweden

スウェーデンの教育が低下傾向にある話は何度も書いてきました。PISAの統計でもその調査ごとに結果が低下していっています。これに関して、組合が行った調査があり、そこから、少し話をしていきたいと思います。

 教員1000人に行った調査によれば、近年教育効果があがらない、結果が出ない理由は、

1.職員(教員)の減少 52%
2.教員が教える形での授業の減少 23%
3.そのほかの要因
4.学校選択の自由化

というように出ています。

 この傾向は90年代に入っておきたものらしいですね。スウェーデンの教育は90年代に大きく変わりました。何が変わったかというと、

94年に出されたカリキュラム
学校選択の自由化
私立学校の自由化
学校が地方公共団体レベルの運営になった

なとでがあがります。ここで、書き連ねてもこんなに多くの変革をしてきたのかと思わずにはいられません。これにより、吉と出たか凶とでたかが今問われているというところでしょか。

ひとつずつ見ていくと、1の教員の密度についてですが、それまでの、高度成長期から経済の波が変わり、教育にお金をかけられなくなったことにより、教員や学校職員にかけられるお金ががたっとへったようですね。これに追い討ちをかけるように、国が支配していた学校を地方公共団体レベル(コミューンレベル)にかえたためにお金に余裕がなく、今のような金、金、金の学校になってしまった。。。教員が増えて、人の手、目の数が増えれば、もちろん、ぎりぎりでついてきている子どもたちや障害のある子どもたちに手が回るようになり、最終的に教育効果があがってくるだろうとも思えます。

2の教師が行う授業が減ったというのは、スウェーデンの教育は、グループワークや自主学習に力をいれたために、いわゆる一斉授業が減り、これにより、個人の能力に頼りすぎて、できない子はよりいっそうできなくなり、できる子は退屈になったというような感じでして、これも、今後見直しが必要な点だと思われます。

3のほかの要因というのは、詳しく書かれていないので飛ばします。まあ、カリキュラムが悪いとか、いろいろありそうですが。。。

4の学校選択の自由化、これは、特に都心部では大きな問題を巻き起こしていたりします。田舎はそんなに選ぶ余地がないので、あんまり関係ないかも。。。
よくあるパターンが、クラスに移民の子どもが多すぎると感じた親や、ほかにいい学校を見つけた親が、ほかの学校に移る。そうすると、その子どもについて、友達が数人ついていく。少したつと、またそのクラスでも移民が増えすぎていたりして、いやだとなり、次の学校へ。。。といった具合に、ぐるぐるぐるぐる子どもが転校を繰り返す。。。これが、学期末ならまだしも、学期途中でも繰り返される。
こんな状態では、子どもも落ち着かないし、教師も出て行く子、入ってくる子の対応に追われ、なかなかその子どもの発達を促すまでにおいつかない。。。

といった感じで、ストックホルムの有名な学校で働く方は嘆いていらっしゃいました。これも確かに一因かも。

こんなにいろいろあったら、なかなか教育効果あがりませんよね。見直し必要ですよ、スウェーデンの教育!

2011年6月28日火曜日

スウェーデンの教育が力を入れてきたこと

少し前にフィンランドとスウェーデンの教育の違いについて書きました。そのときの内容はこちらを。   

 その中にスウェーデンの教育が力を入れてきた内容があげられていました。
作業の仕方
支援器具の向上
自主的な学習
グループでの学習
パソコンを使った学習

上記のような内容は確かにスウェーデン発達しています。で、こういった学習方法だと、教師は、教師ではなく、「スーパーアドバイザー」的な存在になり、教員免許よりも「教えるという能力」よりもほかの能力が求められます。そうこうしているうちに、教員が教員でなくなってしまい、いわゆる「授業」ができなくなってきてしまったのでしょうねえ。

でも、スウェーデン、上記のような学習方法ではかなり力をつけてきていると思うので、今回の教育改革とともに、よい学校へとかわっていくといいなあと思います。